Nov 13, 2025 interview

舘ひろしインタビュー 藤井道人×木村大作と向き合う現場は“挑戦の連続”だった 『港のひかり』

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―― 一番最初に炊き出しを経験されたのはいつですか。

元々は撮影現場に行くと、亡くなった石原プロの小林専務が、昼飯を炊き出しで作っていたんです。最初はとん汁ぐらいかな、それを皆で食べていたんです。それから撮影が進むうちに「今日はイイ肉があったから、ステーキにしよう」とか、そんなふうにドンドンと増えていったんです。

それで1995年に阪神淡路大震災があった時に、小林専務が「炊き出しに行こう」と言い出して行ったんですよ。渡 (哲也) さんの出身地が神戸だったこともあり、全員で行ったんですけど、僕は丁度その時に、NHKドラマの撮影で行くことが出来ませんでした。2011年の東日本大震災の時にまた炊き出しに行って、その時は僕も参加させて頂きました。その後も熊本地震の時も行ったりしましたが、石原プロが無くなっても続けて行くべきと思っていて。でも炊き出しに行ったからと言って、僕らが何か出来るというわけではありません。ただちょっと元気づけに行くぐらいしか出来ませんが「やらないよりはやった方がいい」と思ってやっています。

――尊敬しかないです。舘さんは芸能生活50年を迎えられています。俳優として映画に関わる中で、昔と今で気持ちにいい意味での変化はありましたか。

あまりありませんが、最近は台詞を覚えるようにしています (笑) 。

僕が東映でデビューした時に俳優科というのがあったんですけど、そこの偉い人が「舘くん、舘くん、台詞は覚えて来なくていいからね」と言ったんです。

――何故、今は覚えようと思われたのですか。

周りの皆が台詞を覚えて来ているからね。一度、凄くショックというか“台詞を覚えないといけない”と思った出来事があったんです。それは倉本聰先生の『玩具の神様』(1999) というドラマをやった時に、10ページ近い台詞があって、中井貴一君とのシーンだったんです。僕は例によってカメラとか色んな所にカンペを貼りっぱなしだったんですが、そこに倉本先生が来て、そのままチラッと僕の方を見たと思ったら、何も言わずに帰って行かれたんです (笑) 。

もちろん、中井貴一君は台詞が全部、頭の中に入っています。その時、“まずいかな?”と思ったんですけど。その後、倉本先生に「舘くん、舘くん、台詞はどうでもいいから」と言われました。あの「テニオハ一つ変えてはいけない」と言われている倉本先生にですよ!きっと「こいつはダメだ」と思われたんだと思います (笑) その後、倉本先生と仕事をした時、渡 (哲也) さんとのシーンで6~7ページの台詞があったんですけど、それは流石に覚えて行きました。