――言葉を大切にされるお仕事もしているので、細かく気にかけているんですね。ちなみに照屋監督が「映画を撮りたい」と最初に思ったきっかけの作品を教えて下さい。
『裸の銃(ガン)を持つ男』(1988)です。最初「映画を撮らないか?」と吉本 (興業) に言われた時、“何を撮ろうかな?”と考えて「『裸の銃(ガン)を持つ男』の日本バージョンを作りたい」と思って伝えて撮った作品が、短編映画『刑事ボギー』(2007)です。短編映画ですが、今でも大好きな作品です。面白いです。
――『刑事ボギー』などのコメディから、今作『かなさんどー』というヒューマンドラマというか家族の愛の物語まで。変化がまたダイナミックですね。
最初の3作、4作目ぐらいまでは、バカコメディばかりを作っていたんですが、やっぱり僕の中で残らない感じがしたんです。ただ面白かっただけでなく、何か‥‥、人にケラケラ笑ってもらうだけではない、何かを残したかったんです。笑ったけれども“頑張ろう!”と思えるようなエネルギーを入れたかったから、ヒューマン・コメディというものに自分の中でどんどんとシフトしていきました。それが『洗骨』という作品である程度の形が決まっての『かなさんどー』だったと思います。『洗骨』で自分がやりたい表現、笑って泣けるという表現が固まってきたというのがありました。

――シリアスになってしまうテーマをシリアスに描く監督は多いです。でもそこに「笑い」を入れることはとても難しいと思います。それが照屋監督のこだわりなのではないか?と勝手に思っています。照屋監督が映画を撮り続ける理由を教えて下さい。
撮り続ける理由‥‥、やっぱり“存在していい”と思わせてくれる観客の反応ですかね。映画を観た方が映画館から泣いて出て来たり、「ありがとう」や「笑った」とか「すごく勇気が出ました」と言ってくれると「自分は人の役に立っているんだ」と存在意義を感じるんです。自分の中で一番才能を発揮出来るものが、映画なのかもしれないと思いました。もちろん、コントとかで「面白かった」と言ってもらえますけれども。自分の中の承認欲求かもしれません。
――照屋監督の作品を観て「自分らしく生きていってもいいんだ」ということも感じたりしていました。
「自分らしくていいんだ」というふうに伝えたくて映画を作っているわけではないんです。僕の中では、自分の人生の中で苦しい時は何度もありましたし、皆さんもそうですよね。そんな時、色々なものに救われたと思うんです。僕はエンターテインメントに救われることが多かったんです。自分の力が発揮出来るエンターテインメントで、何かに苦しんでいる人の背中を押して上げられるようなことが出来たらいいなと思って、映画を作っています。
照屋年之監督の作品は、笑いながら泣けるんです。どうしてなのだろうと思うと、人間の良いところも悪いところもすべて見せられて、結果的にカッコ悪い姿も愛おしく感じられるからかもしれません。本作『かなさんどー』は、愛することの喜びを伝えながら、後悔を背負う父親を憎むくらい愛していた娘の気づきの物語であり、夫婦の愛の軌跡でした。愛する人と初めて出逢ったあの頃を思い出して、「いつもありがとう」を伝えたくなる映画、それが私の中の『かなさんどー』という作品でした。

最愛の妻・町子を失った父・悟が年齢を重ねるとともに認知症を患っていた。母が亡くなる間際に、SOSの電話を取ることのなかった父親を許せずにいる娘・美花は、職をなくしたことをきっかけに沖縄に帰ってくる。父との関係を修復しようとしない美花だったが、生前に母がつけていた日記を見つけ、紐解いていくと、知らなかった夫婦の過去、そして母の想いを知り、ある決意をする。
監督:照屋年之
出演:松田るか、堀内敬子、浅野忠信、上田真弓、Kジャージ、松田しょう、新本奨、比嘉憲吾、真栄平仁、喜舎場泉、金城博之、岩田勇人、さきはまっくす、しおやんダイバー、カシスオレンジ仲本、A16
配給:PARCO
©「かなさんどー」製作委員会
公開中
公式サイト kanasando
