1939年との衝突、願いごとには気をつけろ!
1939年に発表された映画『オズの魔法使』との交錯は、『ウィキッド 永遠の約束』の大きな見どころでもある。ジュディ・ガーランドが演じた少女ドロシーのイメージが召喚される (前編でも数秒だけ映り込んでいた)。映画で使用されたドロシーのルビーレッドの靴とギンガムチェックのドレスは著作権で守られているため使用できず、制作陣はライアン・フランク・ボームの原作にオマージュを捧げる形で新たなデザインを試みている。エルファバの魔法によってネッサローズ (マリッサ・ボーディ) の銀の靴が赤くなるという1939年版へのオマージュは、気が利いている。
ドロシーは家ごと吹き飛ばされ、オズの国に運ばれてくる。1939年版における竜巻のシーン、あの悪夢的なイメージの“起源”が描かれる。1939年版において、ドロシーは故郷に帰るためにオズの魔法使いに会いに行く。黄色いレンガの道を、出会った仲間たちと共に進んでいく。オズの魔法使いは、西の悪い魔女を倒せば願いを叶えてやると彼女に約束する。『ウィキッド 永遠の約束』では、マダム・モリブル (ミシェル・ヨー) とオズの魔法使いの策略によって、この少女は利用される。西の魔女を倒したドロシーは、民衆から“救世主”として祭り上げられることだろう。政治的な利用である。まさしく、“願いごとには気をつけろ!”だ。ドロシーのイメージは、後ろ姿とシルエットで描かれている。それは本作があくまでエルファバとグリンダの物語であることを強調するためでもあるが、顔の見えない後ろ姿、シルエットだからこそ、この出来事の不気味さが一層際立っている。シルエットのドロシーのイメージは、前編の冒頭がティム・バートン的なダーク・ファンタジーの意匠で始まったことと、強く響き合っている。監督のジョン・M・チュウは、『フランケンシュタイン』(1931) 等、1920年代から50年代にかけて制作された、ユニバーサル・ホラーの作品群を参考にしたという。
“願いごとには気をつけろ!”というテーマは、負の連鎖、悲劇の連鎖として繰り返し描かれている。グリンダとフィエロ (ジョナサン・ベイリー) の結婚式が行われることを知ったボック (イーサン・スレイター) は、片思いのグリンダに自分の思いを伝えに行こうと決意する。エルファバの妹ネッサローズは、従者のボックを自分の元につなぎとめるために、間違った魔法をかけてしまう。エルファバの魔法によって一命こそ助かるが、ボックの体はブリキになってしまう。『オズの魔法使』のブリキの木こりの誕生である (少し傾いた体がオマージュとなっている)。ブリキとなったボックは、『シャイニング』(1980) のジャック・ニコルソンのように、斧でドアを叩き壊す。強烈な憎悪が生まれる瞬間が、電撃的に演出されている。ネッサローズは、この事故をエルファバのせいにする。ボックは、自分をこんな体にしたエルファバを憎む。

グリンダはフィエロとの結婚を望むが、フィエロの気持ちがどこか別のところにあることに、おそらく気づかないようにしている。フィエロはエルファバへの思いをまだ覚醒させていない。しかしグリンダは、おそらくずっと前から彼の異変に気づいていたのだろう。哀れなほどの無垢。グリンダの道化的な悲しみはここにある。そう感じさせてくれるアリアナ・グランデによる立体的なキャラクター造形が素晴らしい。そもそもグリンダの魔法使いであるかのような華やかな身振りは、彼女の自信のなさを隠すための“技術”でもある。オズの民衆から認められ、愛されるための身振りなのだ。
映画版オリジナルでゼロから創作された結婚式のシーンは出色だ。グリンダが歩く華やかな舞台とエルファバが歩く地下室のカットバック。グリンダのウエディングドレスとエルファバの黒い衣装の対比。そして破壊的な騒動。結婚式という夢の舞台は、フィエロがエルファバへの愛を完全に自覚する悪夢の舞台に変わる。グリンダの願いごとは、文字通り“粉砕”される。『オズの魔法使』のドロシーが、故郷から離れることを望んでいたにも関わらず、家に帰ること、元通りに戻ることを望むようになったように、『ウィキッド 永遠の約束』は願いごとをすること=魔法の危険性を描いているといえる。しかし橋を渡ったときには既に手遅れであり、自分がいま橋を渡っていることにすら気づけないこともある。そのときどういった選択をするのか。愛を憎しみに変えてしまうのか。エルファバとグリンダは問い続ける。自分はどのような人間になりたいと願っているのか。2人の魔女の心の支えとなるのは、鏡の中の世界である。善と悪の二元論にしか還元できない世界は貧しい。もっと多くの視点が必要だ。鏡の中の世界とは、自分や他人の“見え方”を変える可能性のある世界である。

