Jul 23, 2020 column

05: 異才のマネジメント久夛良木 健

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その久夛良木さんとスティーブとの確執のピークが、米国でのプレイステーションのローンチ前のパーティで露見してしまいます。SCEAのマネジメントはプレイステーションという名前が子供っぽいという事と、プレイステーションのロゴにインパクトがないという判断を下し、『ポリゴンマン』というキャラクターをデザインしプレイステーションのアイコンにしようとしたのです。

参考リンク:ポリゴンマンwikipedia(英語)

パーティー会場のあちらこちらに『ポリゴンマン』のキャラクターが配置され、記念グッズも『ポリゴンマン』を使うプランが着々と進められており、それを日本にはほとんど知らせないでいたのです。私も米国にいながらも、自身の担当がコーポレートとサードパーティでしたので、営業とマーケティング周りの情報は全く知らされていませんでした。

パーティーの2日前に日本のマネジメントチームが米国にやってきて、その状況を把握し久夛良木さんが先頭にたって米国のプランに反対し、すべてひっくり返してしまいます。最終的に、SCEAが用意したお土産の『ポリゴンマン』グッズは配られることになりますが、会場中に用意された『ポリゴンマン』のポスターやイメージビジュアルは、パーティー前日にほとんど取り除かれてしまいます。さらに用意していた『ポリゴンマン』が登場するビデオも上映が却下されました。

スティーブは単なるうるさい日本のエンジニアがアメリカでのマーケティングに口をだすことに対して大いに不満に感じたのでしょう、このことが引き金となり辞任してしまいます。

当時、久夛良木さんをマネジメントしていた丸山さんがスティーブに対して「久夛良木は単なるエンジニアではない。マイケル・ジャクソンのようにクリエイティブな才能を持つ異才のマネジメントなので、彼の声に耳を傾けてほしい」という内容の手紙を書きました。しかし、彼は私と一緒の時にその手紙の話をして「マイケル・ジャクソンは経営をしない」と言い放ちました。

スティーブの辞任後、Sony USAの営業重役がつなぎで社長になりますが、数か月でSCEAのメンバーから総スカンをくらい退任。ついには丸山さんが毎週アメリカに通ってチームを見ると言い出します。そのコミュニケーションをつなぐ役割を担わせるために、英語が堪能でかつ難しいアーティストの扱いにもなれているソニーミュージックで渉外担当をしていたスタッフを連れてきます。

それが、後のソニー本社CEOにまで上り詰める平井一夫さんでした。加えて、当時ソニー本社で渉外・広報担当の係長であったアンドリュー・ハウス(Andrew House)をマーケティングのヘッドVPとして抜擢し、日本サイドときちんとコミュニケーションをとれる組織に再構成し、再出発することになります。

それはプレイステーションのローンチ直前の1995年の事でした。それに伴い、この後1年の間に前任社長のスティーブが雇ったアメリカ人VPたちは、SCEAからすべて解雇になるか自ら去っていきました。

面白いもので、こんなにドタバタして混乱していた組織でしたが、現場では毎日やることが山のように押し寄せてきますし、色々と決めなくてはいけない問題や無理難題が降りかかってきます。

例えば、プレイステーションのコントローラー。アメリカ人には最初不評でした。サイズが小さすぎるし、コードが短すぎる、イエスは〇でなく☓が良いなど。当時、現場の意見を尊重し、私も日本サイドを説得したのですが、サイズはともかく日本と海外で〇と☓が逆なのはゲームソフト自体を国により変えなくてはいけなくなり、その後もずっと多くのゲームの開発工数が増えることになりました。正直、今でもあれでよかったのか悩むところです。

また、営業の現場でも問題が発生していました。当時ゲーム流通で約25%のシェアをもつ最大手のトイザらスが、シェアを伸ばしたいが為にローンチ時に他より定価を下げるため、トイザらス向けの特別な卸値を出さないと一切流通しないと通達してきます。

日本のマネジメントも含めた深夜に及ぶ会議の結果、トイザらスとは取引ができなくなっても仕方ないという結論となりました。特別扱いをしないと最後通達を連絡したところ、翌日先方の会長が急遽来社し笑顔で現在のままの条件を受け入れるということもありました。

後から知った話ですが、同じく新型機であるサターンを担いでいたセガでも、ソニー以上にいろいろ混乱があったようです。どの会社も日本と米国の間の文化の違いもあり、混乱は確実にあるものだと思うようになりました。

私自身、この後のキャリアでは常に変化の激しいところに飛び込むことになりますが、このような混乱や騒ぎを体験したおかげで、耐性が付いたという意味では、よい経験であったのではないかと思います。

Entertainment Business Strategist
エンタメ・ストラテジスト
内海州史

内海州史

1986年ソニー㈱入社、本社の総合企画室に配属。その後、社内留学制度でWhartonでMBA取得。ソニー・コンピューエンタテインメントの設立、プレイステーションのアメリカビジネスの立上げに深く携わる。その後、セガ取締役シニア・バイス・プレジデントに就任し、ドリームキャストの立上げを経験。ディズニーのゲーム部門のアジア・日本代表時に日本発のディズニーゲーム作品『キングダムハーツ』の大ヒットに深くかかわる。2003年にクリエイターの水口哲也氏と共にキューエンタテインメントを設立し、CEO就任。ビデオゲーム、PCやモバイルゲームにて多くのヒットを輩出。2013年ワーナーミュージックジャパンの代表取締役社長に就任し、デジタル化と音楽事務所設立を推進。2016年にサイバード社の代表取締役社長に就任。現在株式会社セガの取締役CSO、ジャパンアジアスタジオ統括本部本部長。