Oct 25, 2024 column

『トラップ』父と娘で作り上げたシャマラン・ユニバース “フェーズ2”

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指名手配犯目線で描かれる「フラッグシップ作戦」

シャマランといえば、映画の制作費を自己負担していることでも知られている。自腹を切ることでクリエイティヴの自由を手に入れ、作品を完璧にコントロール。この規模の作品を撮るフィルムメーカーにしてはかなり珍しく、バリバリのインディペンデント系なのである。ここまでパーソナルな作品を作るにあたっては、最も有効な方法だろう。

だがそこはシャマラン、単なるファミリー・ドラマには収束させない。「もしテイラー・スウィフトのコンサートで、『羊たちの沈黙』のようなことが起こったら?」という、ラディカルすぎる発想で『トラップ』は設計されている。常人には思いもよらないアイディアだ。

絵に描いたようなマイホーム・パパのクーパーは、実は“肉屋”と呼ばれる指名手配中の殺人鬼。彼がレディ・レイブンのライブ会場に現れるという情報を入手したFBIは、監視カメラをくまなく設置し、警察官を大勢待機させて逮捕を目論む。その計画は、出演者やライブ会場のスタッフにも共有されていた。いわばこのコンサートそのものが、クーパーを捕まえるための大掛かりな「トラップ」だったのである。

いくら映画とはいえ、設定としてあまりにも大袈裟すぎるのでは‥‥と思われるかもしれないが、これにはれっきとした参照元がある。1985年にワシントンD.C.で実施された「フラッグシップ作戦」だ。FBIとワシントン市警が連携して、指名手配犯たちにアメリカンフットボールの無料チケットを送り、コンベンション・センターに集まった101人もの犯人を一網打尽にしたという、伝説のオペレーションである。

『トラップ』が特異なのは、「フラッグシップ作戦」ばりの捜査網を敷いていかにFBIが殺人犯を捕まえるかではなく、クーパーがこの危機的状況をどのようにして脱出するかという、指名手配犯目線で描かれていること。『羊たちの沈黙』の例で言うならば、ジョディ・フォスターが演じていたFBI訓練生のクラリスではなく、ハンニバル・レクター博士の視点で作られているのだ。

どんなに感情移入しにくい悪役であっても、そのキャラクターを主体に描いてしまえば、知らず知らずのうちに観客は彼/彼女に同化してしまう。それは、偉大なるサー・アルフレッド・ヒッチコックが手がけた数々の名作で証明済み。M.ナイト・シャマランは古典的なサスペンスの法則を用いて、脱出系スリラーを構築したのである。