狂人と悪人、そのとばっちりで苦しむ男
スコセッシ監督作品の多くにおいて、デ・ニーロは頭のおかしい男を演じてきた。もう少し婉曲な言い方をすれば、世間的な常識や規範の外で生きる男、ということになるだろうか。いっさい社会性がなく、思い込んだら最後まで人に迷惑をかけ続ける。『ミーン・ストリート』に『タクシードライバー』、『レイジング・ブル』もそうだし、『キング・オブ・コメディ』でも『ケープ・フィアー』でも、デ・ニーロはつねに狂いに狂っていた。
『グッドフェローズ』の場合は少し趣向が違った。もっぱらデ・ニーロの受け持ちだった狂人枠を、同作ではジョー・ペシ演じるトミー・デヴィートが務めている。レイ・リオッタの扮する主人公ヘンリー・ヒルも思春期からマフィアの世界に身を投じた筋金入りのワルではあるのだが、あまりに常軌を逸したトミーの前ではまったく気弱な男でしかない。
デ・ニーロはといえばアイルランド系のジミー・コンウェイ役で、ヘンリーとトミーの兄貴分となるこの男がまたワルを絵に描いて額に入れたような男だ(そういえばデ・ニーロはすでにこの時“アイリッシュマン”のやくざ者を演じていたのだった)。このジミーも冷静沈着に見えて、一度逆上したら手が付けられない。自分を侮辱したマフィアの大物にトミーが猛然と歩み寄るや、それまで当の大物と談笑していたジミーは一転して激しい暴力を振るう。ペシと一緒になって大物マフィアに何発もキックを叩き込むデ・ニーロの、そのたびになぜかグルグルと高速回転する左腕も含め、何度観たか知れない名場面である。と、こうした成り行きをいつもオロオロ見ているのがレイ・リオッタのヘンリーであって、①“狂った男”と②“悪い男”、彼らに振り回されて③“苦しむ男”…という図式は『ミーン・ストリート』以来、暗黒街のドラマを描くにおいて、スコセッシが繰り返し扱ってきたものだ。
毎度、①狂った男か②悪い男を演じてきたデ・ニーロは『カジノ』に至って、またしても手のつけられない火薬庫のような男に扮したペシとの付き合いのなかで③苦しむ男の役を務めることになる(何しろ映画が始まるなり、乗った車ごと爆殺されそうになるのだ)。今回の『アイリッシュマン』で各俳優陣がそれぞれどの役割を与えられているかは、ぜひ作品をご覧になって確かめていただきたい。3時間半にわたって繰り広げられる大河ドラマはやはり、先に書いた狂人と悪人、その狭間に投げ込まれた男の物語を描いていて、まさにおなじみスコセッシ節ではある。が、今回はそこに監督とデ・ニーロ、そしてペシとパチーノが積み重ねてきた長い人生が投影され、明らかに物騒ではあるがどこか枯れた、独自の味わいまでもが生まれている。