May 13, 2021 column

アカデミー賞主演男優賞受賞『ファーザー』アンソニー・ホプキンスが生きる”葉を失っていく人間”

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映画『ファーザー』 – STORY –

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニーは、娘のアンが手配する介護人を、「誰の助けも必要ない」とことごとく拒否してきた。そんな中、アンから新しい恋人の住むパリへ引っ越すと告げられたアンソニーは、少なからずショックを受ける。だが、それが事実なら、アンソニーのアパートに突然現れ、アンと結婚して10年以上になると語る、この見知らぬ男は誰だ?なぜ彼はここが自分とアンの家だと主張するのか?娘は離婚したのではなかったのか?ひょっとして彼らの真の目的は、アンソニーの瀟洒なアパートを奪うこと?そして、アンソニーが誰よりも愛するもう一人の娘、アンの妹のルーシーはどこに消えたのか?現実と幻想の境界が崩れていく中、アンソニーがたどり着いた、ある〈真実〉とは──?

介護人ローラ(左)にルーシーの面影を重ね上機嫌のアンソニー(真ん中)

テーマ性よりも際立つエンターテイメント性

映画『ファーザー』はまるでクリストファー・ノーランの映画のように、観ている側に常識を捨てさせる…だが、『TENET』(20)や『インセプション』(10)と異なるのは、アンリアルではない、まぎれもなくリアルな物語だということだ。

本作は、認知症の脳内で何が起きているか、そのもっとも真実味のある仮説を再現したのだろう。順序をなくした記憶の混沌、虚構と実世界を行き来する人間の視点を主体的に捉えている。かたやもう一方、その虚構に生き始めた人間を実世界で介護する人間を捨て置くわけでもない。交互にアングルを変えながら進むその物語は、<不思議>にも<真実>にも思える感覚を与えてくれる。

私たちは本作の持つ”おもしろさ”に魅了されればされるほど、彼ら(彼女ら)が居る世界がどれほど不安定かを理解する。決して派手さはないが、説得力とエンターテイメント性を高いレベルで共在させた傑作であることは間違いない。

『ファーザー』
父を想いながらも自分の新しい人生も考えている娘のアン

本作はアンソニー・ホプキンスへのあて書き

父アンソニー役を演じるのは言わずとしれたアンソニー・ホプキンス。本作の演技がで2度目のアカデミー賞R主演男優賞を受賞した御年83歳の名優である。

「私は父を演じたんです。」

アンソニー・ホプキンスは、迫りくる死に恐れを抱いた自身の父を懐古しながら、自分の”葉”を1枚ずつ失っていく気持ちを想像して演じたという。

その父を介護する娘を繊細に演じたアカデミー賞R主演女優賞受賞『女王陛下のお気に入り』(18)のオリヴィア・コールマン。監督にはオリジナル戯曲を手掛けフランス最高位のモリエール賞最優秀作品を受賞したフロリアン・ゼレール。ゼレールは映画化にあたって脚本をホプキンスへのあて書きとし、主人公の名前と年齢、誕生日などをホプキンスと同じ設定にした。共同脚本には『危険な関係』でアカデミー賞Rを受賞したクリストファー・ハンプトン、撮影は『ダウントン・アビー』のベン・スミサード、美術は『ロケットマン』のピーター・フランシス。一流のスタッフたちのコラボレーションで、かつてない画期的な表現が成し遂げられた。

本作が表現する自己崩壊の世界、そしてそれを受け入れる側の世界。唯一、私達をその両方を見ることができる世界にいる。その世界は劇場にある。ぜひ本作を見届けてほしい。ここまで語っておいてなんだが、社会性やテーマ性を一切抜きにして、この映画はとてもおもしろい。

(文/オガサワラ ユウスケ)

『ファーザー』
5/14(金)全国公開

『ファーザー』ポスター
映画『ファーザー』

監督:フロリアン・ゼレール (長編監督一作目)
脚本:クリストファー・ハンプトン(『危険な関係』アカデミー賞脚色賞受賞) フロリアン・ゼレール
原作:フロリアン・ゼレール(『Le Père』)
出演:アンソニー・ホプキンス(『羊たちの沈黙』アカデミー賞主演男優賞受賞)、オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』アカデミー賞主演女優賞受賞)、マーク・ゲイティス(「SHERLOCK/シャーロック」シリーズ)、イモージェン・プーツ( 『グリーンルーム』)、ルーファス・シーウェル( 『ジュディ 虹の彼方に』)、オリヴィア・ウィリアムズ( 『シックス・センス』)
2020/イギリス・フランス/英語/97分/カラー/スコープ/5.1ch/原題:THE FATHER/字幕翻訳:松浦美奈
配給:ショウゲート
公式サイト:thefather.jp