「戦争の時代」のスーパーマン
オリジン・ストーリーを描かない代わりに描いたものは、スーパーヒーローとして活躍するスーパーマン/クラーク・ケント(デヴィッド・コレンスウェット)の現在地だった。
地球では、国際社会の緊張がピークに達している。紛争地域で戦争が始まるなか、スーパーマンは罪なき市民を守るべく国家間の戦闘に介入した。ところがメトロポリスの市民は「他国のことは放っておけ」と口にし、合衆国代表を気取るようなスーパーマンの行動は傲慢とさえ評価する。

ただ善行をなしたいと願っているスーパーマンだが、SNSでは「#supershit」「#superspy」というハッシュタグ付きで叩かれていた。自分の正体を知る、同僚であり恋人のロイス・レイン(レイチェル・ブロズナハン)のインタビューを受けるが、あくまでも記者として振る舞うレインに、スーパーマン=ケントは激昂。自らの考えに従って世界を守るという意志を固めるばかりだった。
ここに絡み合うのが、突如人々から愛される存在となったスーパーマンに個人的な恨みと嫉妬心を抱くレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)の思惑だ。巨大企業レックス・コープを経営するルーサーは、スーパーマンこそ地球の脅威だと主張して彼を追いつめ、軍事ビジネスによって国防総省などにも接近する‥‥。

ガンが脚本を執筆したのは2022年から2023年にかけてのことだから、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻が大きな影響を与えたことは明らかだろう。2023年10月からのイスラエル・パレスチナ戦争を想起する部分もあるが、脚本の最終版は開戦以前に完成していたというから、その影響はさほど表れていないとみられる。
けれどもそうした事実にかかわらず、本作は現実の「戦争の時代」と鋭く共振している。スーパーマン/クラーク・ケントは市民が危機にさらされることを看過できず、政治や経済の論理さえも無視して戦いを止めようとし、身を挺して人々を守ろうとする。それゆえに、彼はメディアやSNSでの攻撃にさらされて失墜するのだ。 観客がそのときに想起するのは、もはや架空の国家と戦争ではなく、現実の戦争やメディア空間そのものだろう。戦争を止めようとするスーパーヒーロー、ひとりでも多くの命を救おうとする英雄――その高潔と無垢が今を撃つ。これこそが現在の世界に必要な「象徴」なのだと、ガンは観客に訴えかけているかのようだ。
アウトサイダーとジェームズ・ガン
今から2年前、ガンはインタビューのなかでこう語っていた。「彼(スーパーマン)はエイリアンのようなアウトサイダーであり、そして究極のアウトサイダーだ」と。
ジェームズ・ガンはアウトサイダーを描き続けてきた作家だ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズをはじめ、オリジナル脚本による初のスーパーヒーロー映画『スーパー!』(2010)や、DCで初めて手がけた『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』(2021)など、多くの作品で「社会になじめない人たち」が主役となっている。
では、スーパーマンのアウトサイダー性とはなにか。長い歴史を誇り、人々に愛されてきた“最強のスーパーヒーロー”を、この上なく純粋な思想と善意を体現するキャラクターとして捉えながら、だからこそ周囲とのギャップに苦しむ存在として描いたところにガンの視点がある。

スーパーマンは激しい批判に葛藤する。なぜ人々に信頼されないのか、なぜ理解されないのか、自分の行いは善ではないのか。そこにさらなる疑惑が降りかかり、スーパーマンはこれまで信じてきたものや、自己を保証していたアイデンティティをも疑うことになる。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズにも通じる“世界への馴染めなさ”と孤独が、このスーパーマンには確かに流れているではないか。

また、アウトサイダーとしての側面が見られるのはスーパーマン/クラーク・ケントだけではない。恋人のロイス・レインも、ジャーナリストとしての正義を貫こうとするあまり妥協を許せず、ケントと口論になってしまう。そのとき、彼女は「やっぱり私、人とうまく付き合えない」と漏らすのだ。 果たして彼らは、こうした葛藤をいかにして乗り越え、心にぽっかりと空いた穴をいかにして埋めるのか。それこそがジェームズ・ガンによる作劇の本領であり、繰り返し描いてきたテーマだ。やはり、『スーパーマン』はまごうかたなき「ジェームズ・ガン映画」の最新形なのである。