アニメーション作家としての「制御」と「設計」
ロード&ミラーは、原作者アンディ・ウィアーに劣らぬ設計力と制御力でこの映画版を完成させている。久々の長編監督作ながら、原作小説の魅力を映像化しつつ、SF超大作としてのルックを確立し、ジャンルを越境し、登場人物の関係を掘り下げ、さらに自分たちらしいユーモアを盛りつけた。

その緻密で堅牢な構築ぶりは、アニメーション映画を長らく作りつづけてきた経験に裏打ちされたものだろう。監督デビュー作『くもりときどきミートボール』(2009)はアニメーション映画であり、『LEGO® ムービー』はアニメーションと実写のハイブリッド。『スパイダーバース』シリーズや『ミッチェル家とマシンの反乱』(2021)などでも、プロデューサーや脚本家として作品の創造に深く関わってきた。
アニメーション作家としての「すべてを制御する」創作術は、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも見て取れる。本作はグリーンスクリーンをまったく使用せず、実写セットで撮影されたというが、その映像はどういうわけかアニメーションのように感じられるのだ。

現在と過去を往還する構造、きっちりと配分された速度と緩急、正確に配置された情報が創り上げるエモーション。すべての見せ場が鮮やかに制御され、過不足なく機能している——少なくともそう思えるストーリーテリングによって、観客は適切に物語を追いかけ、手に汗握り、ときに笑い、涙することができる。ジョエル・ネグロンの編集も含め、言うまでもなくすさまじい仕事だ。

しかしながら、映画としてのおもしろさを確立するその手つきが、同時に作品の限界を垣間見せもする。「すべてを制御する」という狙いと欲望ゆえだろうか、本作には実写ならではの偶然性や余剰というノイズと、俳優の身体がスクリーンにうごめく生々しい実体感がほとんどないのだ。宇宙でひとり奮闘するグレースという人間の、“肉体”としての存在感は、アニマトロニクスとパペットで演じられるロッキーとさほど変わらない。彼らの身体性は、ともに徹底的に制御された構築物のなかにある。

ロード&ミラーが手がけてきたアニメーション作品には、緻密な設計のうえに、その設計すらも飛び越えてゆくエモーションの爆発があった。アニメーションならではの誇張や飛躍の表現が、スペクタクルや感情のレベルを瞬間的に跳ね上げる——言い換えれば、それは“設計以上”をあえて設計するというフィルムメイキングだ。
だからあえて言えば、この作品にはそうした瞬間がほとんどやってこない。実写映画ゆえのリアリズムが、“設計以上”となる逸脱——理屈では説明しきれない、なにがなんだかわからないほどの快感——を制限しているためだ。しかし、そうした“爆発の瞬間”こそがロード&ミラー最大の武器であり、彼らの作品が真に観客の胸を打ってきた理由ではなかったか?