Aug 23, 2024 column

『モンキーマン』立ち上がる弱者の復讐劇にみるマンガ思考

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『スラムドッグ$ミリオネア』で主演を務めたデヴ・パテルの初監督作品、『モンキーマン』が公開された。

架空のインドの都市を舞台に、香港アクションや韓国ノワールのエッセンス、そしてハリウッドのスケールがブレンドされた本作は、デヴ・パテルが構想に8年という歳月をかけて完成させた意欲作だ。

元々は配信作品として製作が進められていた作品が、あまりの面白さに劇場公開となった。それほどまでに引き込まれてしまう本作の魅力を紹介したい。

世界的プロデューサーからの視点

幼い頃に母を殺され、人生の全てを奪われたキッドは、地下のファイトクラブで猿のマスクを被って、モンキーマンと名乗り”殴られ屋”として生計を立てていた。どん底で苦しみながら生きてきた彼は、偶然にも、自分から全てを奪ったヤツらのアジトに潜入する方法を見つける。それをきっかけに、何年も押し殺してきたキッドの怒りが爆発する‥‥。

闘技場やクラブラウンジやキッチンで繰り広げられる迫力あるアクション、ターボを搭載した改造トゥクトゥクでのカーチェイス、男性ホルモン全開の復讐アクション映画を制作したのは、世界的大ヒット作『ジョン・ウィック』シリーズを手掛ける製作陣。

彼らが作り上げたものを観た、『ゲット・アウト』、『ブラック・クランズマン』、『NOPE/ノープ』を手掛けたジョーダン・ピールは「劇場で観てもらうべき作品だ」と自身の制作会社「モンキーパウ・プロダクションズ」で買い取る、という異例の決断を下した。

その理由をジョーダン・ピールはこう語った。

「恨みによる復讐者が正義の復讐者になるという、この映画のテーマにとても惹かれた。この物語は、映画の中で最強ではないにしても、とても強い力のひとつである復讐という衝動に、観客を巻き込んでいく。しかも非常に巧みに」

映画的な美しさと暴力性のあるアクションシーンなど、デヴ・パテルの映画制作スキルにも魅了されたようで
「ワンテイクのように感じられるショットが実に多く、とても滑らかで本能的な動きに感じられることに驚かされる。そし デヴは肉体派の役者として、ファイターとして、非常にユニークなアクションの動きを見せる。見どころはたくさんあるが、最終的には、真の聖なる瞬間である感情を露にした暴力がある」とピールは言う。

確かに、ぬるぬると動くアクションシーンのカメラワークは、それまでのドラマパートとはテンションがまるっきり違い、物語全体のメリハリを効かせている。それでいて、アクションの中にも映画好きにはたまらないちょっとした遊び心が散りばめられている。まさに、良いとこどり。

主演兼監督のデヴ・パテルの言葉を借りれば、影響を受けた数々のアクション映画、素晴らしい製作スタッフチーム、”これらすべてをミキサーに入れ、インド産のマサラを加えた”のが本作である。

映画に盛り込まれる宗教観

血と汗と涙もあるこの復讐映画は、信仰に基づいており、インド神話のひとつを現代風にアレンジし、まったく新しいスーパーヒーローを生み出した。

そう、本作にはヒンドゥー教の宗教観がベースとなっている。

古代インドの大長編叙事詩「ラーマヤーナ」、ヒンドゥー教の三大神のひとり、破壊と再生を司る「シヴァ」、その妻「パールヴァティ」などなど宗教要素、それを踏まえた人々考え方、行動体系が描かれているが、ヒンドゥー教への理解が深くなくても問題ない。

『ジョン・ウィック』然り、わかりやすいところで言えば『セブン』が7つの大罪をベースにしたように、ハリウッド映画の多くには、キリスト教的宗教観が盛り込まれている。

『十戒』『天地創造』など聖書の物語を映画化した”宗教映画”、『エクソシスト』『ダヴィンチ・コード』『セブン』などストーリーの重要な要素として宗教が使われている”宗教的モチーフ顕在型映画”、『ターミネーター2』『グリーンマイル』『マトリックス』といった表立ってはないが、背景に宗教的要素が隠されている”宗教的モチーフ潜在型映画”

これらと同じである。キリスト教に詳しくないからといって、例で挙げた作品を楽しめなかったわけではない。知っていればより理解が深まるそれだけのこと。

“宗教的モチーフ顕在型映画”である『モンキーマン』は、ハリウッド的映画スキルを魅せながらも、この宗教観の差し替えが非常に巧みだ。

物語の転換での映し出される映像表現、登場人物たちのセリフ、モノローグに、宗教要素はあるのだが、これが自然と物語に溶け込み、なんなら伏線として繋がっていたりする。こういった映画表現のスパイスが観客を違和感なく没入させ、その物語にきっと魅了されることだろう。