Sep 16, 2023 column

恋という暴力が大人の世界を破壊する『アリスとテレスのまぼろし工場』

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変化が禁じられた世界で、止められない恋する衝動を武器に、未来へともがく少年少女の物語。
公開中の『アリスとテレスのまぼろし工場』では、”変化は悪”だとされる町が舞台となっている。
コロナパンデミック以後、こういったテーマの作品が多く見受けられるようになった。どこかに感じる閉塞感、何か新しいことをしなければいけないという使命感、そもそも生きているとは何なのか。本作では思春期の少年少女の恋をアニメーション映画として描くことで、それを観客に訴えかけている。

閉ざされた世界に届ける熱量

ある日、菊入正宗はコタツに入って、ラジオを聴きながら仲間と過ごしていた。そのとき、町を象徴する製鉄所が爆発し、空にひび割れができ、何事もなかったように元に戻った。しかし、実際は元に戻っていなかった。町から出る手段はすべて塞がれ、時は止まり、永遠に14歳の冬を過ごすことなる。

本作では「ここから出られないと感じているという設定をとことん突き詰めようと思った」と語るのは、日本中を感動で包んだ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」と「心が叫びたがってるんだ」の脚本家として知られる、岡田麿里監督だ。
「時代の閉塞感と言われていても、皆が同じ気持ちを感じることがなかったが、近年それを経験した。いままで変化を求めていたのに、それがガラッと変わってしまったとき、どうやって自分を守っていくのか。それを全体で味わった」とコロナ禍での経験がもととなっていることを明らかにしている。

アニメーション制作は、『この世界の片隅に』『劇場版 呪術廻戦 0』「進撃の巨人 The Final Season」など数々のヒット作を手掛けるスタジオMAPPA。本作はMAPPA初のオリジナル作品となる。
MAPPAの大塚学代表は「初のオリジナル作品という構えは一切なく、とにかく岡田さんに監督としてあらたな作品を生み出してほしいという願いのシンプルな結果です」と言うが、クレジットから始まる作品冒頭に、その本気度と熱量の高さが窺える。

メインキャラクターとなる正宗、睦実、五実のアフレコは、3日間にわたって行われた。岡田監督が本作で一番撮りたかったキスシーンは、正宗役の榎木淳弥、睦実役の上田麗奈、五実役の久野美咲の3人から「目を合わせて会話したい」というリクエストがあったそうだ。「お互いの呼吸がわかるようにしたい」というのがその理由。ベテランスタッフも初めて見る前代未聞のアフレコとなったこのシーン、少年少女というリアルさ、そうとは思えない艶やかな劣情が入り混じった仕上がりとなっている。ぜひ小さな音まで注意深く聞いてほしい。 

クライマックスシーンでは、感情のわずかなニュアンスに対する監督のこだわりが凄まじく、長時間に及んだ。収録を終え、感謝の気持ちを監督が伝えに行くと、ボイスキャストの3人は「やっぱり、もう一回やらせてほしい」と言ったそうだ。あらゆる感情が噴き出しぶつかり合い、激しく状況が変化するクライマックス。この物語の最後、自分たちが暮らす世界に、ある決断をする正宗と睦実、そして五実の3人。それぞれの答えに我々はどう感じるか。非常に悩まされる演技を魅せつけられる。

この世界はどうなっているのか?

恋することで世界が変わってしまう『アリスとテレスのまぼろし工場』。岡田作品特有の印象的なタイトルについて少し説明したい。”アリスとテレス”については、岡田監督が小学校のとき、古代ギリシャの賢人・アリストテレスをふざけて、2人の女の子のように言っていたことに由来。脚本完成時、内容に合わせて”まぼろし工場”とつけたが、”アリスとテレス”を残したいというスタッフの意見があったそうで、その2つを合体させたそうだ。

それも岡田監督が「今作は生きることや存在意義について哲学的にというか自分なりに考えていきたい作品」としているからだ。

主人公たちが暮らす閉ざされた町は、見ることを伏せると書いて、見伏町という鉄鋼業が主な産業としている田舎町だ。その世界観は1980年代後半から90年代。あの頃の甘酸っぱさとノスタルジーを薫らせる。

その一方、あの頃はよかったという懐古主義を礼賛しているわけでもない。大人になりたくない=なれないのでは、将来の夢は永遠に叶わない。時が止まってしまうと、待ち望んでいた赤ちゃんは産まれず、母親はずっと妊婦のままだ。

そしてこの世界には、”自分確認票”というものが存在する。”いつか世界が戻ったときに自分が変化していると、不具合が起きる”という根拠のない理論に振り回され、大人も子どもも、”自分が何者で、何が好きで何が嫌いなのか”を定期的に提出させられる。例え変化に感染されていても、毎回同じことを書かねばならない。それは自分を押し殺すことで、とても辛い作業ではないだろうか。

そんな世界で退屈を紛らわせながら過ごしていた主人公たちは、ある日この世界の真実の入り口に遭遇する。それを機に考え始める、”そもそも、この世界とはなんなのか?”ということを。そして”世界は変えられる”ことに気づくのだ。

アリストテレスは、”永遠不変の世界に真の実在はある”とした師匠・プラトンを否定した。”現実からかけ離れた世界は実在ではない。現実界の理想は現実界にあるべき”とした。

この世界を知りたい、つまり時代の常識を疑うことは、知ることを愛する哲学の始まりだ。哲学用語としての友愛とは、対等な関係で互いに相手の善を願う愛のことを指す。アリストテレスが重んじた倫理的徳のひとつで、これは父と子、夫と妻、大人と子どもといった人間の結びつきのことだ。つまり、この世界を作っているのは、愛だろ、愛。ってことになる。

以前なら少々とっつきにくかった哲学的なテーマを、好きは大嫌いでイライラしてドキドキしてムカつくけど、それでも世界が色づいて見えた”思春期の恋”という、誰もが知る愛おしくて訳のわからない圧倒的な暴力で描いたアニメーション映画。大人になった今なら、あの日見た光景とは違った結論が見えてくるはずだ。

文 / 小倉靖史

作品情報
映画『アリスとテレスのまぼろし工場』

製鉄所の爆発事故により出口を失い、時まで止まってしまった町で暮らす14歳の正宗。いつか元に戻れるようにと、何も変えてはいけないルールができ、鬱屈とした日々を過ごしていた。ある日、気になる存在の謎めいた同級生・睦実に導かれ、製鉄所の第5高炉へと足を踏み入れる。そこにいたのは言葉の話せない、野生の狼のような少女・五実。2人の少女との出会いは、世界の均衡が崩れるはじまりだった。止められない恋の衝動が行き着く未来とは?

原作・脚本・監督:岡田麿里

制作:MAPPA

出演:榎木淳弥、上田麗奈、久野美咲、八代拓、畠中祐、小林大紀、齋藤彩夏、河瀨茉希、藤井ゆきよ、佐藤せつじ、林遣都、瀬戸康史

配給:ワーナー•ブラザース映画、MAPPA

©新見伏製鐵保存会

公開中

公式サイト maboroshi.movie