Jul 19, 2022 column

映画史上最高の“出逢い”を描く『リコリス・ピザ』

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走る瞬間に映画がみなぎる

歩く歩幅も、リズムも人によって違う。演じることは、その人物が、どのような歩調で一歩ずつ地面を踏みしめるかを作り出すことでもある。その意味で『リコリス・ピザ』は、アラナ・ハイムもクーパー・ホフマンも演技経験がなく、自分のこれまで生きてきた10数年、または20数年の実体験をもとに歩くしかない。

冒頭の2人が出逢うシーンに、ニーナ・シモンの「July Tree」を流すとPTA監督が伝えたところ、アラナは音楽に合わせたテンポで歩いたという。彼女がバンド、ハイムでヴォーカルを担っていることを知っていれば、音楽に乗せて、いともかんたんに歩いてみせたのも納得出来るだろう。

一方、ドタバタと歩く姿も良いが、歩くよりも走る姿が際立つのがクーパー・ホフマンである。オイルショックでガソリンスタンドまで続く車道の渋滞を「世界の終わりだ!」と両手を広げて走る姿は、本作屈指の名シーンだろう。

実際、これまで観た全ての映画から最高の走る場面を抜き出せと言われれば、本作が大半を占めてしまいそうに思えるほど、劇中に繰り返し登場する疾走シーンがことごとく素晴らしい。走る瞬間に映画がみなぎるのである。

ティーンエイジ・フェアでウォーターベッドの販売を始めたゲイリーは、突然、警官たちに拘束されて有無を言わせぬままパトカーに押し込められて連行される。それに猛然と抗議するアラナは、パトカーの窓を叩きながら必死の形相で車に食らいつき、追いかける。やがて警察署でゲイリーの無実が明らかになり、廊下で拘束が解かれて呆然とする彼を、道を隔てた通りからアラナが大仰な手振りで手招きする。そこから逃げ出すように走り出した2人を、バストサイズで捉えた息をのむほど美しい移動ショットは、まるでこの世界に2人しか存在しないような錯覚すらもたらす。

実際、アラナが年長のベテラン俳優であるジャック・ホールデンと知り合い、バイクの曲芸に同乗することになる場面では、誰もがベテラン俳優にしか注目しない中で、ゲイリーだけは彼女に起きた出来事を察して走り出す。そのときもまた世界には彼らしか存在しないように2人を輝かせる。

走ることで2人だけの世界が出現することが、こうして明らかになっていくが、それが最高潮に達するのが終盤である。何が起きるかは伏せるとしても、別々の道を歩いていた2人がやがて走り出すショットの積み重ねは、時間も空間も超えて神々しいばかりに輝くとだけ記しておこう。

余談を記せば、劇中で何度も忘れがたい〈出逢い〉を繰り返す2人が、クライマックスで出逢うとき、その背後には映画館が映し出されており、看板には、『007/死ぬのは奴らだ』(1973年)と、『メカニック』(1972年)が見える。最近も『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)に『007/サンダーボール作戦』(1965年)の巨大看板が登場し、舞台がいつの時代なのかを瞬時に理解させたが、『死ぬのは奴らだ』にも同様の効果があるものの、それ以上に原題の“Live And Let Die”が印象深く響く。

これは“Live And Let Live”という諺をもじったものだが、末尾のLiveをDieに変えることで、自分たちは生きるがおまえらは死ねという007のタイトルに相応しいアレンジを施したものだ。それを「死ぬのは奴らだ」と訳したのも上手いが、『リコリス・ピザ』の2人の疾走シーンが、この言葉の掲げられた看板の前で最高潮に達することを思えば、“Live And Let Die”は2人だけの世界を象徴する言葉でもある。

ところで、本作を観て中途半端に感じる人がいないとも限らない。物語だけを追えば、様々なエピソードが重ねられるものの、いずれも尻切れトンボ的に終わってしまうからだ。しかし、アラナの心情に沿って観ていれば違和感はなくなるだろう。

彼女はゲイリーと親交を深めたことから――そのきっかけとなるニューヨーク行きのエピソードも微笑ましい――ビジネスパートナーとなり、ゲイリーの仲間たちと共に10代の頃のような青春を味わうが、それを無邪気に享受していたわけではない。何度となく我に返って、こんなガキどもと何をやっているのかとでもいうような虚無的な表情を浮かべる。

殊に、本作屈指の抱腹絶倒なエピソードとなる怪人映画プロデューサー、ジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)の自宅にウォーターベッドを届けるところから始まる『恐怖の報酬』(1953年)の一景を思わせるトラックによる大活劇は、同乗するゲイリーたちにとっては輝かしい青春の記憶になるだろうが、25歳のアラナにとってはそうではない。

事実、夜明けの歩道に放置されたトラックへ、ポリタンクに入れたガソリンを運んでくるゲイリーたちが嬉々として騒いでいる姿を遠目に見つめて道端に腰掛けるアラナが、自分はいい歳して何をやっているんだろうと言わんばかりの表情は忘れがたい。間もなく彼女は、市長選のボランティアへ身を投じるが、それは大人の世界への接近に他ならない。

『リコリス・ピザ』の素晴らしさは、ボンクラ男子が年長の女性に恋する映画と思わせて、実際は商才にあふれた大人びた少年が、名実ともに大人へと成長していく姿を横目に、大人になりきれなかった女性が、大人の世界へ憧憬を抱く姿を丹念に映し出しているところにある。冒頭では年齢差を感じさせた2人が、ラストカットではどのように映し出されているかにも注目してもらいたい。

文 / 吉田伊知郎

作品情報
映画『リコリス・ピザ』

舞台は1970年代のロサンゼルス、サンフェルナンド・バレー。実在の人物や出来事を背景にアラナとゲイリーが偶然に出会ったことから、歩み寄りすれ違っていく恋模様を描き出す。

監督・脚本・撮影:ポール・トーマス・アンダーソン

出演:アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ

配給:ビターズ・エンド、パルコ

© 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.

2022年7月1日(金) 全国公開

公式サイト licorice-pizza.jp