ライトブルーに彩られた世界
“リコリス・ピザ”とは、ロサンゼルスのレコード・チェーン店のこと。そこから監督のポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)がインスパイアされてタイトルにしたもので、劇中にその店が登場することはない。1973年のハリウッドにほど近いサンフェルナンド・バレーを舞台にした本作の世界観、空気感にマッチした言葉として使用したものだけに、われわれには理解しようがないが、それでも語呂の良さもあって、何となく意図は感じることが出来る。
劇場で販売されているEPレコードサイズのパンフレットには、そうした当時の風俗、店の名前、ゲイリーのモデルになった子役俳優から、劇中で言及される映画の元ネタまで、キーワード辞典のように解説が記されているので、それを読めば本作の世界観がいっそう理解できるが、知らなければ愉しめないという偏狭な映画ではない。“リコリス・ピザ”の語感を何となく感じることが出来たように、劇中に登場する固有名詞も、何となくニュアンスを察することが出来るだろう。
もっとも、ネタ元探しに挑むつもりなら、冒頭から『アメリカン・グラフィティ』(1973年)を想起するに違いない(実際、アラナ・ケインのモデルは、同作品でデビューしたケイ・レンツだというし、PTA監督は出演した子どもたちにも撮影前に見せて参考にさせたという)。だが、筆者が想起したのは、近年リバイバル上映されたイエジー・スコリモフスキ監督の傑作『早春』(1970年)の方だった。15歳のマイクが働き始めた公衆浴場兼プールで、23歳の同僚スーザンに恋する『早春』は、奔放な経験を持つヒロインに少年が夢中となって過激な行動に出る。この〈どんづまりの恋〉(原題は“DEEP END”)は、痛々しさに満ちているが、その瑞々しい映像に魅せられてしまう。
撮影時、マイクを演じたジョン・モルダー・ブラウンは17歳、スーザン役のジェーン・アッシャーは25歳だった。つまり、『リコリス・ピザ』の2人とほぼ同じ年齢であり、時代も同じく1970年代初頭だが、それだけなら同時代を舞台に年長の女性に焦がれる少年を描いたという類似項があるだけで、特記すべきほどのものではない。この2つの作品に共通するのは、〈水〉である。『早春』には、スーザンに似たヌードモデルの等身大パネルを抱いてマイクがプールに飛び込み、水中で抱きつく忘れがたい場面がある。終盤にはこの世で最も凄惨で美しい場面が再びプールの中で展開される。
『早春』が〈水中〉の映画なら、ゲイリーがウォーターベッドの販売に乗り出す『リコリス・ピザ』は、〈水上〉の映画と言える。ウォーターベッドには水が張り巡らされ、水上に横たわるような感覚をもたらすが、実際に水面と接することはない。そこに横たわるゲイリーとアラナは決して、『早春』の2人のように水中へ没することはないのである。
加えて2本の映画の共通項を挙げれば、強烈に〈色〉が際立つ点だろう。『早春』には、壁の色や服などに緑と赤が周到に配置されていたが、『リコリス・ピザ』では、ライトブルーが全編にわたって散りばめられている。
冒頭、学校の外廊下を歩くアラナは、写真撮影スタッフの制服らしい水色のポロシャツをまとっているが、映画が進むにつれて、アラナの自宅の冷蔵庫や電話にも同じ色が配されていることに気づく。画面のそこかしこにライトブルーが侵食していくことで、ティーンエイジ・フェアでウォーターベッドの販売に乗り出すゲイリーがまとう衣装も水色のシャツへと変貌する。2人はこのとき、後述するような爆発的な〈出逢い〉を再び演じることになる。
商魂たくましくベッドの販売拡大に勤しむゲイリーと、ビジネスパートナーとなったアラナが乗り回す1968年式コンバーチブルのGTOの車体もまた淡いブルーに彩られており、ドアや壁、階段、箱にも刻印のようにこの色がペイントされている。
そして、ウォーターベッドの店舗販売を始めたときに開店イベントで軒先を照らし出す照明や、ベテラン俳優のジャック・ホールデン(ショーン・ペン)がアラナを誘ってバイクの余興を見せようとする場面で夜のゴルフ場を照らし出す光もまた青白い光線となって画面を包む。この光は、映画の終盤にも忘れがたい輝きを伴って登場することになるだろう。