怪物か怪物でないかを見極める基準とは?
これから映画を観る人も多いため、詳細を語ることはできないが、原作から大きく変わった点について、2つ触れておきたい。“タレント霊媒師”逢坂セツ子(柴田理恵)の出番は原作では中盤だけに限られていたが、映画版の逢坂は思いがけないシーンで再登場する。その際に逢坂が口にする「これからは闇になります。闇の中で信じられるのは痛みだけです」という言葉は重要だ。生きた人間と人間ならざるものの境界線があいまいになった世界では、痛みが感じられるかどうかが唯一の判断基準となる。“痛み”には、肉体的な痛みだけでなく、心の痛みも含まれている。人の心の痛みを理解することができなくなれば、その人は人間の姿であっても、すでにモンスターみたいなものである。中島作品に共通するテーマだと言えるだろう。岡田准一演じる野崎は幾つもの痛みにのたうち回りながら、生を実感することになる。 クライマックスも大きく変わった。原作では琴子たちの懸命な戦いによって、化け物を撃退することに成功する。だが、映画版はすんなりと大団円には収まらない。化け物を一時的に撃退しても、化け物を呼び込んでしまった家庭や社会の歪みを残したままでは、田原家以外の家にまた同じようなモンスターが現われることになる。自分の家は安心だと思っている人ほど、気をつけたほうがいい。ささいな裂け目からも、あいつはやって来る。 先述のニーチェの言葉には続きがある。「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである」。 中島監督の『来る』を観るとき、我々観客もまた自分自身の心の闇を覗き見ることになる。文/長野辰次
作品紹介
『来る』
オカルトライター・野崎のもとに相談者・田原が訪れた。最近身の回りで超常現象としか言いようのない怪異な出来事が相次いで起きていると言う。田原は、妻・香奈と幼い一人娘・知紗に危害が及ぶことを恐れていた。野崎は、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴とともに調査を始めるのだが、田原家に憑いている“何か”は想像をはるかに超えて強力なモノだった。民俗学者・津田によると、その“何か”とは、田原の故郷の民間伝承に由来する化け物“●●●●”ではないかと言う。対抗策を探す野崎と真琴。そして田原は、幼き日の記憶を辿るのだが・・・。
原作:澤村伊智『ぼぎわんが、来る』(角川ホラー文庫刊)
監督:中島哲也
脚本:中島哲也 岩井秀人 門間宣裕
出演:岡田准一 黒木華 小松菜奈
青木崇高 柴田理恵 太賀 志田愛珠
蜷川みほ 伊集院光 石田えり
松たか子 妻夫木聡
配給:東宝
公開中
©2018「来る」製作委員会
公式サイト:http://kuru-movie.jp/
『ぼぎわんが、来る』澤村伊智/角川ホラー文庫刊
『ぼぎわんが、来る』澤村伊智/角川ホラー文庫刊 第22回「日本ホラー小説大賞」に輝いた澤村伊智の作家デビュー作。巧妙な語り口と物語構成によって選考委員から高評価を獲得し、綾辻行人、貴志祐介、宮部みゆきらも絶賛した。コミカライズ版も現在配信されている。