May 21, 2019 column

「麒麟がくる」クランクイン目前、長谷川博己が明智光秀の菩提寺・西教寺に参る

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明智光秀が主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年1月放送開始)の撮影を目前に控え、5月20日(月)、主演・長谷川博己さんが滋賀県大津の西教寺を訪れた。

西教寺は明智光秀の菩提寺で、明智一族および明智光秀の妻・熙子さんのお墓参りをしたり、明智光秀直筆の書状なども見学した上で取材を行った。

––お参りに当たってお話を聞かせてください。

去年の夏にも西教寺にお墓参りをしたのですが、今回また西教寺に来ることになり、明智光秀に呼ばれたんだなと思います。今日拝見した明智光秀の書状から、光秀の字から繊細さがすごく伝わってきました。明智光秀については、まだハッキリとした正体はつかめないところがありますが、今日ここに来て、書状などを見せていただき、何か少し近づけたなという気がしました。お墓参りでは、『私が明智光秀をやらせていただきます、よろしいでしょうか』とお伝えしまして、きっと許してくださるのではないかなと思います。『必ず良いものにします』と念を込めました。


–– 滋賀県大津市の印象はいかがですか?

大津はとても素敵なところだなと思います。光秀にとっては、出世の出発点だったところと聞いています。ここでお参りができたということは、すごく幸先の良いスタートだなと思いました。

––これからの撮影に向けての意気込みを聞かせてください。

明智光秀を演じることがとても楽しみで、今からすごく興奮しているのですが、できるだけ平常心で、あまりまだ作り込まず、自分を空の状態にして、お墓参りなどしていろんなことを経験して、少しずつその容器を埋めていければといいなと思っています。

「麒麟がくる」では、出演者発表以外での取材会は今回が初めてとなる。いよいよ撮影のはじまる6月までわずか、俳優としてはいろいろな思いを抱え、いい緊張みなぎる時期であろう。実在の人物を描く大河ドラマでは、ゆかりの地や菩提寺参りは定番。

明智光秀の菩提寺・西教寺での取材会は20日の午後14時から開始された。取材陣はJR 大津駅からバスに乗って西教寺へ。滋賀県は琵琶湖と比叡山の間に位置し、比叡山を超えたところはもう京都という地理的に重要な場所である(京都に琵琶湖の水を運んでいる琵琶湖疎水も近い)。1571年、織田信長が比叡山焼き討ちを行ったとき織田に仕えていた明智光秀は活躍を認められて滋賀の土地を得る。やがて坂本城の城主となり西教寺の檀徒となった。1582年、本能寺の変、山崎の戦いの後、光秀は西教寺に葬られたと言い伝えられている。戦国時代、戦は常ではあるが、ここ坂本、西教寺のあたりは明智光秀が人生の後半を彩った場所。だからこそ長谷川さんにとっても思いはひとしおだったのではないだろうか。

大河ドラマに限らず、実在の人物を演じるとき俳優はよくそのお墓に参る。外国人の役をやるとき外国までお墓参りをしてきたという話もよく聞く。それは神聖な儀式のようなものであろう。例えば天童荒太のベストセラー「悼む人」という小説は主人公が亡くなった人のゆかりの人たちを訊ね、生前どんな生き方をしていたのか訊くことで死を悼む行為を繰り返す話であるが、演じることも他者が何を考えどう生きてきたか、その心の奥底を知る作業である。

長谷川さんはいつも演じるとき、脚本あるいは原作を読み込み深く思考する俳優だ。以前、主演映画の取材をしたとき、登場するモチーフを旧約聖書と関係あるかなと想像したら、監督から「 ちょっとフロイト的だね」と言われてしまったと照れ笑いを浮かべながら話してくれたことがあったのが印象的だった。彼のそういう想像が役を面白くしているのだと思う。取材会のコメントでは「あまりまだ作り込まず」と語っているが、明智光秀というとても有名でありながら謎の多い人物を、池端俊策の脚本をどのように読み解き、自身でもどのように想像し、表現していくか。長谷川博己しかできない明智光秀が生まれることを心待ちにする。

文・木俣冬

木俣冬

文筆家。著書『みんなの朝ドラ』(講談社新書)、『ケイゾク、SPEC、カイドク』(ヴィレッジブックス)、『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』(キネマ旬報社)、ノベライズ「連続テレビ小説 なつぞら」(脚本:大森寿美男 NHK出版)、「小説嵐電」(脚本:鈴木卓爾、浅利宏 宮帯出版社)、「コンフィデンスマンJP」(脚本:古沢良太 扶桑社文庫)など。 エキレビ!で「連続朝ドラレビュー」、ヤフーニュース個人連載など掲載。 otocotoでの執筆記事の一覧はこちら:[ https://otocoto.jp/ichiran/fuyu-kimata/ ]