落ちこぼれスパイの葛藤
そんなオールドマンが英国人ジョン・ル・カレの原作「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を元にしたスパイ映画『裏切りのサーカス』(2011) で演じたスマイリー役もイギリスの諜報機関サーカスを引責辞職した元ベテラン・スパイの話だった。英国スパイのイメージはイアン・フレミング著書『007』シリーズのジェームズ・ボンドのように、屈強な切れ者が悪を倒すという派手な活劇もあれば、ル・カレのスパイ小説のように地味な印象の中でじんわりと真相を突きとめていく作品もある。
「窓際のスパイ」の著者ミック・ヘロンもル・カレのファンなのだそう。ミック・ヘロンは携帯ももたない、Eメールもしない変わり者の作家として定評がある。原作はハヤカワ文庫からシーズン1「窓際のスパイ」、シーズン2「死んだライオン」、シーズン3「放たれた虎」まで翻訳されていて、現在、番外編も含めて英語版全8シリーズが出版済み。Apple TV+配信シリーズの初シーズンがオンエアされたのが2022年の4月。シーズン2が同年の12月に配信され、23年11月配信開始のシーズン3の評価は絶大。来月解禁のシーズン4も期待を裏切らないエンターテインメントに仕上がっていて、年末にはシーズン5まで解禁するかもしれないと勢いを増している。
物語は、MI5で働くサラリーマンの上下関係と、その底辺に追いやられた若者たちーあだ名はスローホース(のろまな馬たち=窓際族)の葛藤が、ラムが所長として経営するスラウ・ハウス(窓際族の事務所)を中心に描かれる。窓際行きの理由はすべて明かされていないものの、トップシークレットの書類を電車に忘れた人など、理由は皆それぞれ。物語の要は、訓練中に大きなミスをおかした落ちこぼれスパイ リバー・カートライトがラムの下で鍛えられながら、MI5の工作指揮下の陰謀の歪みを解決するべく突進していく情熱にある。
リバーを演じるイギリス、エセックス出身の男優ジャック・ロウデンは舞台を中心に活躍してきた俳優。映画では、クリストファー・ノーランの『ダンケルク』(2017)の英空軍パイロットのコリンズ役や、ミュージシャンのモリッシー伝記映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー, はじまりの物語』(2017) 、『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018)のほか、1970年の英国を舞台に日本の侍スピリッツにあふれたKōki主演の新作『Tornado (原題)』も近年公開予定のようだ。このリバー役はラムと違い、誠意と正義に満ち満ちた存在で、任務に忠実すぎて失敗するという点も愛されるキャラ。
リバーの祖父で、MI5を引退した高明なスパイを演じるのが、『未来世紀ブラジル』(1985) 、『007トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997) 、『天才作家の妻 40年目の真実』(2017) などに出演、大英帝国勲章コマンダーを授与された、英国が誇る名優ジョナサン・プライス。そのほかは、英国を中心に活動している若手俳優たちが役を通して、家族のように密接な関係になっていくところもこのシリーズが円熟している理由である。ラムは変わり者だが、事務所の所長としてかぎりなく優れていて、落ちこぼれのレッテルを貼られて事務所へ送られたスパイたちの得意不得意を熟知しているところも憎い設定である。