Jun 01, 2024 column

第48回:『関心領域』への関心が続くハリウッド ドキュメンタリー映画『The Commandant's Shadow』ーナチス司令官家族のその後 

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ジョナサン・グレイザー監督『関心領域』は、第2次世界大戦時のナチスドイツ支配下のヨーロッパが舞台。ハリウッドがこれまで描いてきたユダヤ人迫害や大量殺戮を描いたホロコースト映画とは全く違う。マーティン・エイアミス原作「関心領域」を脚色した映画だが、原作中の主役の名前も違えば、台詞もほとんど引用されていない。監督が原作に興味をもったのはナチスドイツ側の加害者の目線。原作タイトル、Zone of Interest(関心領域)という言葉が放つ意味や、美しい邸宅を構えたナチ司令官ルドルフ・ヘス一家の家族写真が、監督ジョナサン・グレイザーの映画製作への原動力となっている。さらに、全米で5月29日から特別劇場公開した『The Commandant’s Shadow(原題)』は、原作のモデル、ナチス司令官ルドルフ・ヘスの実子と、アウシュビッツで囚人オーケストラの一人となって生き延びたユダヤ人女性とが出会うドキュメンタリー映画。このコラムでは、ジョナサン・グレイザー監督がアカデミー賞国際長編映画賞を獲った映画『関心領域』のその後を紹介。

アカデミー賞受賞発言でバッシングを食らったグレイザー監督

ジョナサン・グレイザー監督といえば、ジャミロクワイやレディオヘッドの斬新なミュージック・ビデオ映像を思い出す人も多いかもしれない。数少ない映画監督作品もユニークな視点が際立っていて、スカーレット・ヨハンソン主演の『アンザー・ザ・スキン 種の捕食』(2013) の内容が映画『関心領域』に最も近く、「エイリアンの視線で、世の中をre/see/things (再度、見つめ直し)たかった」という当時の監督の言葉が今回の映画でも反映され、音楽を手掛けたミカ・レヴィとの再タッグもより力強い。

ホロコーストを歴史ドラマとして描くのでなく、一定の立ち位置から見つめ、しかも、加害者の立場から自らの人間性を見直すという、実験的でセンセーショナルな試みがこの『関心領域』なのである。

原作から一箇所だけ引用したという台詞は、映画の後半。アウシュビッツから収容所の本部に転属させられそうになっていたナチス司令官ルドルフ・ヘス(原作ではフィクション名パウル・ドル)が、家を引っ越すことに不満だった妻に電話し、「グッドニュース!アウシュビッツ管轄に残れることになったよ!ハンガリー系ユダヤ人をガス死させる大任は僕にしかできないからね。本部はそのミッションを僕の名前で呼ぶそうだ。」とヘス。

夫に関心のない妻は「パーティには誰がいたの?」と関心を示さずに返答。ヘスは「さぁね、正直覚えてないよ。天井の高い部屋にいる人間を全員殺すのはかなり難しいなと、任務の大変さを考えると頭がいっぱいだったからね。」とある。映画の台詞は原作の中で、主人公がポーランド、クラクフのオペラハウスへ赴き、オペラを聴きながら、頭の中で天井の高いオペラハウスの観客全員をガス死させる方法を練っているという場面から引用されている。アカデミー協会のインタビューで、プロデューサーのジェイムズ・ウィルソンは「原作のテーマに触発されてこの映画を脚色したが、製作チームが重きを置いたのが、加害者の視点。エリートで仕事熱心で、家族は花溢れる邸宅で暮らしているというのは、場所を変えれば幸せを象徴する家族の形。我々の中に加害者の視点が潜在してないのかを疑うことは居心地の良いものではないが、この映画を製作する上で最も重要なことだった」と語っている。

歴史上、ナチス司令官ルドルフ・へスは、アウシュビッツ収容所で1940年5月から1943年の11月、そしてそのあとの転属後まで、最も長く従事したアウシュビッツ収容所の司令官。映画で描かれるそのミッションは、ヘスが1944年の5月に転属から戻り、2ヶ月間で約43万人のハンガリア系ユダヤ人をガス死させた大量殺戮「オペレーション・ヘス(ヘス作戦)」のこと。アウシュビッツ収容所のみで大量殺戮されたのは、主にユダヤ人だが、そのほかポーランド人の政治犯とされた人々、差別された同性愛者などナチスに逆らった人間も含み、計300万人以上と言われている。1945年の1月まで司令官として務めたあと、戦犯として捕まり、1946年にニュルンベルグ裁判で絞首刑がくだされている。

東欧諸国に移住していたユダヤ人の祖先をもちながらも、ジョナサン・グレイザー監督のホロコーストへのスタンスは、現在、イスラエルのパレスチナ侵攻を支持するユダヤ人とも違う。アカデミー賞国際長編映画賞受賞のスピーチは、アカデミー賞史上、最も物議をかもす内容。アカデミー協会のオフィシャルサイトによる監督スピーチのトランスクリプトには、ガザ問題で揺れる戦いの結末を懸念するグレイザー監督の問いかけが秘められている。

”All our choices were made to reflect and confront us in the present, not to say look what they did then, rather look what we do now.”

”Our film shows where dehumanization leads at its worst. It’s shaped all of our past and present. Right now, we stand here as men who refute their Jewishness and the Holocaust being hijacked by an occupation which has led to conflict for so many innocent people. Whether the victims of October 7th in Israel or the ongoing attack on Gaza, all the victims of this dehumanization, how do we resist ? ”

「私達の選択は問われています。私たちが何をされたかではなく、むしろ、私たちは今、何をしているのかということです。(途中略)この映画は、人間らしさが失われ、最悪な方向(事態)へ至るところを示しています。それらは私たちの過去と現在を形作ってきました。現在、我々は人間として、ユダヤ人らしさを失い、ホロコーストそのものが、(ガザ)占領によって乗っ取られ、大勢の無罪な人々がの被害者になっています。それはイスラエルで起きた10月7日の被害者、そして現在、続いているガザ地区攻撃の両者にいえます。人間らしく生きることを奪われたこれらの被害者たちに対し、我々はどう背を向けられるのでしょう?」

このスピーチのあと、グレイザー監督は記者が待つプレスルームに出席せず、スピーチの内容を説明することはなかった。

ハリウッド業界誌はグレイザー監督のスピーチをこぞって取り上げ、勇気ある発言というTimes紙の記事もあれば、ヴァラエティ誌は、本人が下を向いて内容をぼそぼそ読む様子は、途中で起こった拍手に紛れて、内容が聞き取りにくかったとコメント。アカデミー賞の約1週間後の3月18日、イスラエル支持のユダヤ系アメリカ人の映画関係者は反論し、賛同者がサインしたオープンレターを公表。その中には大物プロデューサー、『パルプ・フィクション』(1994) のローレンス・ベンダーや『スパイダーマン』シリーズ(2017~) を手掛けるエイミー・パスカル、『ラ・ラ・ランド』(2016) のゲイリー・ギルバートほか、監督はイーライ・ロスやロッド・ルーリー、俳優ではデブラ・メッシング、ジェニファー・ジェイソン・リーなど、1,000人以上がこぞって署名。18日以降も、署名に名を連ねているグレイザー監督の選んだ言葉をわざわざ引用して非難した。

“We refute our Jewishness being hijacked for the purpose of drawing a moral equivalence between a Nazi regime that sought to exterminate a race of people, and an Israeli nation that seeks to avert its own extermination.”

「私たちはユダヤ人らしさが、モラルの同等性を表現するために乗っ取られたことに怒りを感じます。ナチスがユダヤ人大量殺戮したことと、イスラエルという国がユダヤ人の尊厳を守るために戦っていることは決して同等のものではありません。」

ジョナサン・グレイザー監督が去年、5月のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したときは、6分のスタンディング・オベーションで観客、批評家も大絶賛だった。その評価から約一年がたった現在、世界情勢は代わり、グレイザー監督が意図した映画『関心領域』の中の加害者目線は、ホロコーストを描いているのにもかかわらず、イスラエルのガザ侵攻で苦しむパレスチナ人の苦しみが壁の向こうに見えてくるような普遍性と意外性に満ち、震撼させられる要素に溢れている。