第94回アカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した『ベルファスト』が火付け役か、今年もまた著名な映画監督自身の伝記映画が話題になっている。
トロント映画祭で観客賞を受賞したスティーブン・スピルバーグ監督の新作『フェイブルマンズ』は、ロサンゼルスのイスラエル料理店「ザ・ミルキー・ウェイ」を経営していたスピルバーグ監督の母が奔放だった、監督の幼い時代を回想した伝記映画。10代のスピルバーグ少年と姉妹が両親の不仲を見つめながら、自ら映画監督という道に進むまでを描いた感動ドラマである。同じくユダヤ系アメリカ人で、『アド・アストラ』のジェームズ・グレイ監督もまた、新作『アルマゲドン・タイム(原題)』という映画の中で、自身の家族、ウクライナ移民三世代の様子を描き、どちらもノスタルジー溢れる長編映画となっている。
伝記音楽映画も飽和状態で、大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』を筆頭に、エルトン・ジョンの『ロケットマン』、去年の前哨戦で話題となったアレサ・フランクリンの『リスペクト』そしてジュディ・ガーランドの『ジュディ虹の彼方に』など、今年は実写では『エルヴィス』、ドキュメンタリーでは『ジギー・スターダスト』他、伝記音楽映画のブームは今年も続いている。
「喰え、喰え!」の替え歌で旋風を巻き起こしたアルの伝記映画
先月、伝記映画のトレンドに新風を吹き込んだのが、パロディ音楽の天才アル・ヤンコビック。彼は、ファンが募った資金によってハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの殿堂入りを果たすほどに、アメリカ人に愛されているミュージシャンなのである。このスターを称える遊歩道の星形の敷石は、映画スタジオや音楽レーベルがスポンサーになって功績が称えられるのが通常。
アル・ヤンコビックの名を知らない人でも、マイケル・ジャクソンの大ヒット曲「ビート・イット(Beat It)」を「イート・イット(Eat It)」と替え歌にしたアメリカ人ミュージシャンといえば、覚えている人も多いはず。日本に来日したときには、ひょうきん族といっしょに「喰え、喰え」とマイケル・ジャクソン並に歌って踊り、お茶の間を沸かせていた。
日本であまり知られていないのが、アルが、ほぼ毎年のようにグラミー賞にノミネートされていたこと。84年に「イート・イット」でグラミー賞を受賞したあと、88年には「ファット(FAT)」(同じくマイケル・ジャクソンの「バット(BAT)」を替え歌にしたもの)がベスト・コンセプト・ミュージックビデオで受賞。アメリカ音楽史上、最も生産性のあるアーティストの一人なのである。この映画を皮切りに、2023年2月からは米ミッドウェストからコンサートツアーを開始。ロンドン、ヨーロッパ、そしてオーストラリアと、すでに春好演は売り切れの会場もあるなど、とてつもないビッグスターなのである。
アル役を主演しているのが、『ハリー・ポッター』シリーズの主人公ハリーで一世風靡した俳優ダニエル・ラドクリフ。前回のコラムでも触れた『エブエブ』監督の処女作『スイス・アーミー・マン』で喋る死体を演じて以来、映画『ガンズ・アキンボ』でも若手監督ジェイソン・レイ・ハウデンと組み、ゲーム会社のプログラマーがデス・ゲームに巻き込まれて、とんでもない殺し屋になるなど役選びも弾けている。
この映画では主演だけでなく、エグゼクティブ・プロデューサーも務めているラドクリフ。20代は富と名声のプレッシャーからか、酒に溺れたりと私生活の方が大きく取り上げられていたが、現在、ほぼ毎年のように映画やTV番組で活躍している。10年以上つきあいのあるガールフレンドとその家族がアルの熱狂的なファンであったということで、替え歌の天才アルについて、一から勉強。この映画では失敗してはならないと奮起して、役作りに挑んだという。