デンマーク出身監督が映し出す人間の“性”
『THE GUILTY/ギルティ』の製作国である“デンマーク発”作品といえば、おそらく真っ先に挙げられるのが、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)だろう。あまりにも衝撃的なラストから“鬱映画”と評されることも多く、ビョーク演じる主人公セルマが辿った運命には、誰もが言葉を失ったはずだ。そして今年、トリアーの新作『The House That Jack Built(原題)』(18年)が日本でも公開される。70年代のアメリカを舞台にシリアルキラー(マット・ディロン)の12年間を追う作品で、昨年のカンヌ国際映画祭での上映時は退出者が続出したという。日本でも賛否を呼びそうだ。
近年ではデンマークが共同で製作に携わった作品や、トリアーと同じくデンマーク出身の監督が手がけた作品が話題になる機会が増えてきている。例えば美術アシスタントとしてトリアーを間近に見てきたヨナス・アレクサンダー・アーンビーは、冷たく陰湿な空気感と少女の異形なる本質を見事に融合させた『獣は月夜に夢を見る』(14年)で長編デビュー。ラース・フォン・トリアーの遠縁にあたるデンマーク出身監督ヨアキム・トリアーも、信仰心をテーマにしたスタイリッシュ・ホラー『テルマ』(17年)が世界中で高い評価を得ている。
ほかにもデンマークが製作に携わった作品には、カンヌ国際映画祭でも評価された『ひつじ村の兄弟』(15年)やマッツ・ミケルセン主演の『アフター・ウェディング』(06年)など、“一筋縄ではいかない”秀作が多い。これら北欧から生み出される映画は、──もちろん全てが当てはまるわけではないが──人間の内なる“性”を冷淡なほど鋭い視点で描き出しているのが特徴だ。作品全体に自然と漂う冷たさは、自然環境という意味においても人間関係という意味においても、ヒリヒリとした手触りを感じさせる。ハリウッド映画や邦画では決して感じることのできない、彼の国の遺伝子だからこその独特な味わいではないだろうか。
ワン・シチュエーションだからこその魅力
『THE GUILTY/ギルティ』を語る上で外すことはできないのが、“ワン・シチュエーション”というテーマだろう。言い換えれば一つの“ジャンル”であり、同時に作り手にとっては自ら首を絞めかねないぎりぎりの“アイデア勝負”ということにもなる。これが作品にフィットすると、観客はストーリーテリングの巧みさや思わぬ相乗効果に感動するわけだが、限定空間あるいは閉鎖的状況という圧迫感はサスペンス映画で機能しやすい。
例えば『THE GUILTY/ギルティ』と同じく電話のやり取りを通して展開する作品といえば、コリン・ファレル主演の『フォーン・ブース』(02年)が有名だろう。電話ボックスを舞台にしつつも、主人公スチュと狙撃犯のやり取りや周囲の状況をテンポよく見せていく名匠ジョエル・シューマカー監督の手腕が光り、81分という短さながら異様な緊迫感が支配して観客を飽きさせることがない。