『いつか晴れた日に』(95年)、そして『ブロークバック・マウンテン』(05年)など、人間ドラマを描く監督として高い評価を獲得したアン・リー監督。しかし、2012年の『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』では、アカデミー監督賞だけでなく視覚効果賞も受賞するなど、ここのところのリー監督は映像テクノロジーにも注力している。その最新作が、ウィル・スミスを主演に迎えたSFアクション超大作『ジェミニマン』だ。リー監督は、自身初のSFアクションということだけではなく、本作で3D表現と“フレームレート”による新たな映像表現の可能性に挑む。
進化し続ける映画において不変のもの
映画における映像表現はすさまじい進化を遂げ、“映像化不可能”という謳い文句はもはやなくなったも同然だ。そして映画の撮影・上映もフィルムからデジタルへと変化し、Netflixを筆頭に映画の配信ビジネスも台頭。映画は映画館だけで楽しむものではなくなってきている。それほど大きく進化し、変化してきた映画という映像芸術において、この約100年間ほとんど変わっていないものがある。それが“フレームレート”だ。
映像の仕事をしている人やハードコアゲーマーでもない限り、とくに意識することはないフレームレートだが、本コラムの主題であるアン・リー監督の『ジェミニマン』は、そこに関して非常に挑戦的な作品となっている。そこで、まずは映画のフレームレートについて説明しておきたい。
そもそもフレームレートとは?
映画に限らず、映像というのは静止画のコマ(フレーム)が連続表示されることで動いて見えている。フレームレートとは、その映像において1秒間に何コマ表示されているかを示す数値。高ければより滑らかな映像となり、低ければカクカクした動きになるという仕組みだ。パラパラ漫画を思い浮かべればわかりやすいだろう。
そして普段、我々が映画館で目にしている映画は、秒間24フレームの映像である。なぜ映画が24フレームになったかには一応理由がある。ごく簡単に説明すると、まだ映画がフィルムで、それも無音だったころは16フレーム“ぐらい”だった。しかしフィルムに音声を記録できるようになってくると、16フレームではフィルムの長さが足りず、さらに一定の速度ではなかったため、音がうまく再生できなかった。そこでフィルムのフレーム数を増やし、1秒間の基準を作る必要に迫られたが、フレームを増やせばそれだけフィルムは長くなりフィルム代がかさむ。その現実的な落としどころとして、24フレームになったと言われている。そしてそれ以降、この24フレームは映画の定型フォーマットとして親しまれ、フィルムからデジタルに移行したいまでも使用され続けている。
長年培われた24フレームという映画っぽさ
なぜ技術が進化した現在も、ほとんどの映画が24フレームを使い続けているのか。とくに業界にルールがあるわけではないのだが、フレーム数を増やす場合、例えばCGを使う映画なら、増えたフレーム数のCGも作らなくてはいけないのでお金がかかる。さらに映画館の上映機器が対応していないという問題も出てくるので、興収に響いてしまう。そういった予算的な理由に加え、「24フレームが一番映画っぽい映像になるから」というのも大きな理由だろう。
約100年間、人類は24フレームで映画を鑑賞し続けてきたわけで、クリエイターたちもそのフレーム数を前提に表現してきた。この長く培われた“映画っぽさ”という概念は想像以上に大きい。それを確かめるのは簡単で、YouTubeで「24fps」「30fps」「60fps」と検索して動画を見てみてほしい(fpsとは秒間のフレーム数の単位で、frames per secondの略)。なめらかさが少ない、ややコマ落ちしたような24fpsの動画がもっとも映画っぽく見えるはずだ。秒間24フレームという数値はカクカクした動きになりすぎず、そしてコスト面も考えながら映画っぽさを確立した、映画特有のフレーム数なのである。