Jun 07, 2024 column

『チャレンジャーズ』ゲームを支配する愛の行方

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物語を牽引する身体性

支配をめぐる駆け引きは、「相手のコートにボールを打ち返す」というテニスの試合に拡張される。漏れる吐息、溢れ出す汗、恍惚に満ちた表情。

ルカ・グァダニーノ監督は、明らかにテニスの試合を性行為のメタファーとして描出している。直接セクシャルな場面をインサートするのではなく、その身体性によって、『チャレンジャーズ』をこのうえなく官能的な作品にせしめているのだ。

身体性。それはルカ・グァダニーノという監督を紐解くうえで、重要なキーワードのひとつだ。彼の映画においては、身体そのものが物語を牽引する大きな原動力となる。ここにグァダニーノのインタビューを引用する。

「私がまだ若く、仕事を始めたばかりの頃、周りにある多くの映画‥‥特にイタリアで作られる映画にとても不満を感じていたのを覚えています。身体という概念がまったくなかった。現代の映画についてです。だから私は、身体の儚さ、触感、官能性を本当に多く扱わなければならないと主張したのです」

https://lwlies.com/interviews/luca-guadagnino-challengers/

太陽の光を浴びて黄金色に輝くゼンデイヤの姿が眩しいくらいに神々しいのは、艶やかな肌に、しなやかな動きに、ルカ・グァダニーノがこのうえない官能性を見出したからだろう。

だが同時に彼は、「映画作家が身体を官能的なものとしてのみ捉えるのは、間違いだと思います」とも語っている。そう、映像表現において身体が表す機能は、匂い立つようなエロティシズムだけではない。それはもっと多義的なものだ。ここでグァダニーノが手がけた映画を振り返ってみよう。

例えば、17歳の少年エリオ(ティモシー・シャラメ)と24歳の青年オリヴァー(アーミー・ハマー)のひと夏の恋を描いた『君の名前で僕を呼んで』(2017)。確かに、2人の性愛シーンは鮮烈だった。だがそれよりも、ティーンエイジャー特有の傷を抱えたティモシー・シャラメの痩せっぽっちな身体に、我々は例えようのない寂寥感を覚えたはずだ。

もしくは、ダリオ・アルジェント監督の傑作ホラーをリメイクした『サスペリア』(2018)。モダンダンスを踊るスージー(ダコタ・ジョンソン)の、しなやかな身体性。クライマックスに訪れる、血みどろな肉体崩壊。身体を通して、生の躍動と死の絶望が描かれる。

そして、食人族として生まれついた若者2人の青春と葛藤を描いた『ボーンズ アンド オール』(2022)。そこには、カニバリズムというショッキングな題材を通して、「食べられてしまうかもしれない」という身体の恐怖が映し出されていた。

グァダニーノ映画に登場するキャラクターたちは、確かにその身体からエロスを芳香させているが、同時に青春の蹉跌と、死の影も刻まれている。だからこそ、彼が紡ぐ物語はあまりに痛々しく、生々しいのだ。