Jul 26, 2024 column

村上春樹小説 初のアニメ化『めくらやなぎと眠る女』作り手が受け手の想像力を信じることで生まれた、幽玄なる世界

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受け手の身体に直接作用する<倍音>

物語は、2011年の東日本大震災の数日後から始まる。謎の小箱を同僚の妹に渡すため、北海道へと旅立つ小村(磯村勇斗)。突然置き手紙を残して、夫の小村の元から姿を消すキョウコ(玄理)。小村の同僚で、“かえるくん”から東京壊滅の危機を救ってほしいと懇願される片桐(塚本晋也)。様々なキャラクターが摩訶不思議な出来事に遭遇していく。

監督のピエール・フォルデスは、小さな頃から川端康成や三島由紀夫の小説を読み、黒澤明や小津安二郎や溝口健二の映画に触れてきた。ジャパニーズ・カルチャーに慣れ親しんできた彼が、村上春樹作品を映像化することは自然な流れだった。さらにフォルデスは、村上作品に自分と同じような感覚を嗅ぎ取る。

「彼(村上春樹)の作品は、どういうわけか私の仕事と共鳴している。私は皮膚の下にあるもの、思考が実際に意味をなす前の奥深くにあるもの、私たちが多かれ少なかれ隠し持っている魔法の世界、私たちの希望、悲しみ、フラストレーションを明らかにするものを探求するのが好きなんです」

引用元:https://www.japan.travel/en/uk/inspiration/blind-willow-sleeping-woman-pierre-foldes-interview

意味が意味としての機能を持ち始める以前の状態、つまり非言語的で抽象的な世界に潜む魔力に、フォルデスは強く心惹かれた。もちろん村上春樹自身も、そのことには自覚的だった。

「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう“倍音”みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないんだけど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです」

(「出版ダイジェスト」第 1907 号(2003 年3月 11 日)、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」刊行記念対談より抜粋)

どうやら村上春樹が言うところの<倍音>が、彼の文学を文学たらしめているようだ。受け手の身体に直接作用して、エコーのように響いていく。しかも何が<倍音>に成り得るかは、受け手によって異なる。村上春樹が真に偉大なのは、世界中の人々に「これは私の物語だ」と思わせるほどの、普遍性と抽象性を有していたことだ。

だからこそ、小説が映像として血肉化してしまうと、<倍音>が瓦解してしまう危険性がある。テキストを頻出させることで濱口竜介はその問題を回避していたが(もちろんそのアプローチも非常に理知的だ)、ピエール・フォルデスは真っ向から対峙することを選択した。

抽象と具象のあわいにあるアニメーションにすることで、“皮膚の下にあるもの”、“思考が実際に意味をなす前の奥深くにあるもの”を描こうとしたのだ。

受け手の想像力を信じる

村上春樹作品には、エロス(性)とタナトス(死)が濃厚に漂っている。生きる情動と、死の衝動。世界中が漂白されたような淡々としたタッチのなかに、時折濃厚な艶かしさが顔を覗かせる。

ピエール・フォルデスは、「闇に包まれた森の奥深くで、愛猫ワタナベ・ノボルを撫でている全裸の女性が佇んでいる」とか、「スケッチブックにいたずら描きしたような線や円だけの世界がゆっくりと迫ってくる」とか、シュルレアリスム絵画のようなカットを挟み込んで、登場人物の無意識をビジュアライズする。滴り落ちるエロスとタナトスを、<倍音>として響かせるのだ。まさに、アニメーションならではのアプローチ。

しかも今回制作にあたって採用しているのは、ライブ・アニメーションと呼ばれる手法。絵コンテに基づいて俳優に演技をしてもらい、それを参考にして2Dアニメーションに落とし込む。映像をトレースするロトスコープでも、俳優の動きをデジタル化するモーションキャプチャーでもない。非デジタルなアプローチで、身体の動きの滑らかさを獲得している。それが、映画に漂う“艶”に繋がっているのだろう。

この映画は、死やセックスを手がかりにして、「生きるとは何ぞや?」という実存的な問題を問いかける。それは、東日本大震災でトラウマを負った人たちの魂の救済を試みる行為だ。おそらく村上春樹も、ピエール・フォルデスも、物語を紡ぐことが<倍音>を膨らませる行為であり、身体にじっくりと作用する治癒行為であることを信じている。それを可能にしているのは、物語から喚起される我々自身の想像力だ。かえるくんだって、こう語っているではないか。

「すべての激しい闘いは想像力の中でおこなわれました。それこそがぼくらの戦場です。ぼくらはそこで勝ち、そこで破れます」

(村上春樹著 短編小説「かえるくん、東京を救う」より抜粋)

映画『めくらやなぎと眠る女』は、ピエール・フォルデスが受け手の想像力を信じることで生まれた作品なのである。

文 / 竹島ルイ

作品情報
映画『めくらやなぎと眠る女』

2011年の東京。東日本大震災か5日後、刻々と被害を伝えるテレビのニュースを見続けたキョウコは、置き手紙をのこして小村の元から姿を消した。妻の突然の失踪に呆然とする小村は、図らずも中身の知れない小箱を女性に届けるために北海道へと向かうことになる。同じ頃のある晩、小村の同僚の片桐が家に帰ると、そこには2メートルもの巨大な「かえるくん」が彼を待ち受けていた。かえるくんは迫りくる次の地震から東京を救うため、こともあろうに控えめで臆病な片桐に助けを求めるのだった。

監督・脚本:ピエール・フォルデス

原作:村上春樹(「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」)

(オリジナル版)
声の出演:ライアン・ボンマリート、ショシャーナ・ビルダー、マルセロ・アロヨ、スコット・ハンフリー、アーサー・ホールデン、ピエール・フォルデス

(日本語版)
声の出演: 磯村勇斗、玄理、塚本晋也、古舘寛治木竜麻生、川島鈴遥、梅谷祐成、岩瀬亮、内田慈、戸井勝海、平田満、柄本明
演出:深田晃司 翻訳協力:柴田元幸 

配給:ユーロスペース、インターフィルム、ニューディアー、レプロエンタテインメント

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