相互理解の困難さを指し示す、外国語というモチーフ
サンドラとサミュエルの夫婦関係を阻むものは、言語だ。ジュスティーヌ・トリエも、「この映画の核となるのは言語です。それはこの夫婦のメタファーであり、いかに彼らがお互いを理解できないかを表しています」(*abc.net.au)とはっきり明言している。夫のサミュエルはフランス人で、妻のサンドラはドイツ人。そして彼らは、母国語ではない英語で会話をしている。相互理解の難しさを、外国語というモチーフによって描出している。
思い返してみれば、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)でも、日本語だけではなく中国語、韓国語、英語、そして手話までが登場し、意思疎通は困難を極めていた。ダニエル・クワン& ダニエル・シャイナート監督の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)では、主人公のエヴリン(ミシェル・ヨー)は父親に広東語で話しかけ、夫には北京語で話し、娘には英語でコミュニケーションをとっていた。世代間のギャップが、言語によって表象されている。
本作を見終わって、筆者がふと思い出した映画がある。ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)だ。写真家の夫と一緒に東京にやってきたシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)は、日本語を話すことも聞くこともできず、見知らぬ土地で焦燥感を募らせていく。一方、テレビCMの撮影で来日した俳優のボブ(ビル・マーレイ)も、中年の危機を迎えて孤独な日々を過ごしている。そんな2人が極東の地で出会い、愛情とも友情ともつかない、けれどもお互いにとって大切な関係を築く。
ソフィア自身が日本に滞在していた体験をもとにシナリオを書き上げたこの映画では、言語の壁から生ずるディスコミュニケーションが描かれていた。ロスト・イン・トランスレーションを直訳すれば、“翻訳によって失われるもの”。ある言葉を別の言語で言い換えようとすると、その言語特有のニュアンスは失われ、別の意味が生じてしまう。『落下の解剖学』でも、サンドラは当初フランス語で裁判に臨むが、意思の伝達が困難であることを悟り、途中から英語に切り替えていた(英語も彼女にとっては外国語なのだが)。
他者を理解すること、物事を解釈することは難しい。各々の価値観・道徳観・倫理観・出自などによって、確実にバイアスがかかるからだ。そんな相互理解の難しさを、外国語(=言語)というモチーフを暗喩として用いながら、ジュスティーヌ・トリエは家族の、夫婦の、そして真実の正体を、丹念に解剖してみせる。まるで、熟練の外科医のような手捌きで。間違いなく『落下の解剖学』は、本年度の最重要作のひとつである。
文 / 竹島ルイ
人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。事件の真相を追っていく中で、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ‟真実”が現れるが‥‥。
監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール
配給:ギャガ
©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
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