Feb 23, 2024 column

『落下の解剖学』が暴く、不確かな“真実性”

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夫婦という役割を演じる

『落下の解剖学』の英語タイトル「Anatomy of a Fall」から、オットー・プレミンジャー監督の 『或る殺人(Anatomy of a Murder)』(1959)を想起する映画ファンもいることだろう。実際にジュスティーヌ・トリエは、リチャード・フライシャー監督の『絞殺魔』(1968)、ジョン・カサヴェテス監督の『オープニング・ナイト』(1977)、ロバート・ベントン監督の『クレイマー、クレイマー』(1979)といった作品と並んで、この傑作サスペンスを参考にしたと明言している。

『或る殺人』は、ジェームズ・ステュアート演じる弁護士のポールが、妻を強姦した男を撃ち殺した陸軍将校マニオン(ベン・ギャザラ)の裁判を引き受け、無罪を勝ち取ろうとする法廷劇。この作品が巧みなのは、「記憶が錯乱していて、事件当時のことをあまり覚えていない」とマニオンが証言していること。つまり銃を撃った本人すら、真実を把握できていないのだ。警察医は、マニオンの妻が強姦されていなかった可能性も指摘する。オットー・プレミンジャーは老練な演出で、真実と思われていたものを次々とひっくり返していく。ジュスティーヌ・トリエが、この手法に大きな影響を受けたことは想像に難くない。

そして彼女はインタビューで、『ゴーン・ガール』(2014)と『マリッジ・ストーリー』(2019)についても言及している。どちらも、結婚というシステムの本質を突いた作品だ。

「デヴィッド・フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』は、10年間私を悩ませてきた作品です。大好きな映画であると同時に、大嫌いな映画ですね。私はノア・バームバックが監督した『マリッジ・ストーリー』の、特にアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンの喧嘩のシーンも好きです。『落下の解剖学』での口論シーンは、ほとんどこのシーンと対になっています」

https://www.filmcomment.com/blog/interview-justine-triet-on-anatomy-of-a-fall/

特に彼女が「大好きで大嫌い」と告白する『ゴーン・ガール』は、“結婚の本質とは、夫婦という役割を演じること”だと定義する、非常にシニカルな映画だ。主人公のエイミー(ロザムンド・パイク)は徹底的に完璧な妻を演じ、夫のニック(ベン・アフレック)にもその役割を全うすることを求める。そこにあるのは愛情というよりも、夫婦としてのロールプレイ。それが幸福に繋がるのだと、エイミーは本気で信じている。本作は、夫の役割を放棄したニックの身に降りかかる、恐怖の体験劇なのだ。

『落下の解剖学』のサンドラとサミュエルもまた、夫婦の役割をめぐって口論を繰り広げる。すでに作家として名声を博している妻に対し、夫は仕事とダニエルの面倒をみることに奮闘する毎日で、なかなかやりたいことに時間を割くことができない。サミュエルは「自分には、もっと自由な時間が与えられるべきだ」と主張し、サンドラは「好きなようにすれば良い」と取り合わない。

夫は、家事だの育児だの夫に対するケアだの、妻が妻として果たすべき役割を果たすべきだと考えているが、妻はそれを押し付けられた役割と考え、より自由に振る舞うべきだと考えている。バイセクシュアルのサンドラは性に対しても奔放だ。2人のあいだには精神的空白地帯のようなものが形成され、その絆は完全に壊れかけている。

本作は、『ゴーン・ガール』と『マリッジ・ストーリー』、そして『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008)や『ブルーバレンタイン』(2010)の系譜にも繋がる、“結婚残酷物語”でもあるのだ。