Feb 28, 2025 column

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』 How Does It Feel ? 音楽は誰のもの ?

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ニューポート・フォーク・フェスティバル

『名もなき者』のルックは、当時のボブ・ディランを追った2本のドキュメンタリーの影響を受けている。1本は1965年のボブ・ディランの英国ツアーを追ったD・A・ペネベイカー監督の『ドント・ルック・バック』(1967) 。もう1本はミューレイ・レイナー監督の『ニューポート・フォーク・フェスティバル』(1967) 。『ドント・ルック・バック』はD・A・ペネベイカーが語るとおり、音楽ドキュメンタリーというよりもボブ・ディランという人物そのものを追った作品だ。ジョーン・バエズがギターを弾くすぐ隣でボブ・ディランがひたすらタイプライターを打っているホテルのシーンには、『名もなき者』で名曲「風に吹かれて」が誕生するシーンに近いイメージがある。クリエイティブの瞬間とプライベートの秘密の瞬間が交差するところ。『名もなき者』におけるアパートで2人が「風に吹かれて」をデュエットするシーンは、2人の近さを忘れられない親密な構図で捉えている。ジョーン・バエズとボブ・ディランが同じフレームに収まる。ここには名曲の発明の瞬間だけでなく、そのときの光や肌の温度そのものが立ち上がる瞬間が捉えられている。

『ニューポート・フォーク・フェスティバル』は、ピート・シーガー主導のこのフェスティバルの空気を知ることができる作品だ。後にこのフェスティバルにおけるボブ・ディランの全パフォーマンスを集めた『ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963〜1965 / The Other Side Of The Mirror: Bob Dylan Live At The Newport Folk Festival 1963-1965』もリリースされている。フェスティバルに向かう大勢のオーディエンスのショットから始まる前者は、ヒッピーカルチャー以前の、ピクニックに向かうような、このフェスティバルの牧歌的な空気をよく伝えている。フェスティバルには広義の意味のフォーク・ミュージック=伝承音楽のミュージシャンが集っている。またステージで演奏するミュージシャンだけでなく、フェスティバルに集まる無名のオーディエンスも野原で演奏をしている。ここにはピート・シーガーの描く友愛と共助の理想がある。『名もなき者』が元にしたイライジャ・ワルドの著書「ボブ・ディラン 裏切りの夏」には、このフェスティバルの理念が詳細に研究されている。伝統音楽と現在の出来事、政治情勢を接触させること。フォーク・ミュージックの新たなプラットフォームをつくること。

ニューポート・フォーク・フェスティバルの象徴ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーといったアーティストがポピュリズムの道を切り拓き、フォークソングをロックンロールのアティテュードで演奏するボブ・ディランは時代の寵児としてその最先端に立っていた。ピート・シーガーにとってボブ・ディランは、ポピュリズムにセルアウトすることなくこのシーンをリードしていく最重要人物だった。そして『名もなき者』にも描かれているとおり、ボブ・ディランはフォーク・シーンの顔になることを“電撃的”に拒否する。1965年、ボブ・ディランはエレクトリックギターを抱えこのフェスティバルに乗り込む。『名もなき者』ではボブ・ディランのバンドが1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルに到着するシーンが、まるでマフィアの到着のように描かれている。爆音の演奏。音が割れたまま「マギーズ・ファーム」を不敵に歌うボブ・ディラン。攻撃性があるのは明らかだ。ボブ・ディランは何かを終わらせようとしている。

本作に描かれた対立は、旧世代と新世代の対立という単純な構図ではない。ボブ・ディランのエレクトリック化を“裏切り者”扱いする若者の姿は、いくつかのドキュメンタリーで見ることができる。様々な要素が絡んでいると言われるが、ピート・シーガーとボブ・ディランの間においては、理想主義と個人主義の対立によるものといえる。そしてこの背景にはビートルズの存在がある。

『ドント・ルック・バック』 には、ビートルズ主演の『ハード・デイズ・ナイト』(1964) に描かれたような、熱狂的なファンに追いかけられる“ボブ・ディラン現象”の狂騒が捉えられている。このシーンはそのまま『名もなき者』に引用されている。『名もなき者』にビートルズのことが描かれているわけではない。しかし現代に通じるアイドル文化の礎を作り、あらゆる文化的景色を変えてしまったビートルズは、フォーク・ミュージックのピュリスト(純粋主義者)たちにとって軽薄さやセルアウトの象徴だったことがイライジャ・ワルドの本に記されている。フォーク・ピュリストたちにとって、それは迫りくる脅威でもあったのだろう。