困難な時代だ、愛を探せ!
ティモシー・シャラメはボブ・ディランを演じるにあたり5年間の準備をしている。ボーカル、ギター、ハーモニカ、方言のコーチと共に歩んできた歳月。あるときはボブ・ディランの歌詞を紙に書いて部屋の壁に貼ったこともあったという。ティモシー・シャラメの演技は『名もなき者』で明らかに次のフェーズに入っている。とてつもなく修練が必要とされる役柄だが、それを誇示する素振りなどまるで見せず、ただただ映画作品に献身している。情熱的であると同時にクールな距離感がある。これは全くもって驚くべきことである。本作の演技は疑いなくティモシー・シャラメのベストアクトと断言できる。ティモシー・シャラメはボブ・ディラン役を演じることで、“自己発明”という概念を発見したと語っている。
またボブ・ディラン役は、ティモシー・シャラメのフィルモグラフィーと運命的なつながりがある。ティモシー・シャラメのスター性を考えたとき、これは偶然ではなく、もはや必然のことなのだろう。時代の救世主というテーマにおいて、『DUNE/デューン』シリーズの主人公ポール・アトレイデスのイメージと本作のボブ・ディランは手をつないでいる。救世主やカリスマがどのように作られていくか、あるいは周囲からの期待がどのように本人に作用していくのか。さらに女性たちに先導されるように歩む物語という点においても両作品は符合している。
2人の女性の存在。『名もなき者』におけるフォーク歌手ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)は、ボブ・ディランの姉のような存在であり、ときに保護者のように描かれる。美しい歌声とカリスマ性でボブ・ディランに先行してフォーク・リバイバルのアイドル的存在となったジョーン・バエズ。ジョーン・バエズの美しいソプラノとアメリカ南部の無骨さを敢えて取り入れようとしたようなボブ・ディランの歌声は対照的だが、2人の声が組み合わさることでオリジナルな調和、美しい不調和が生まれる。ジョーン・バエズはボブ・ディランの才能を見抜き、彼の歌をオーディエンスに届けようと努めていた。そしてボブ・ディランがボブ・ディランになった記念碑的なアルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のジャケットでボブ・ディランと腕を組んで歩くスージー・ロトロをモデルにした、シルヴィ・ルッソ(エル・ファニング)の存在。ボブ・ディランはスージー・ロトロが公人でないことを理由に、彼女の実名を使わないよう望んだという。エル・ファニングはそんなボブ・ディランの行動にスージー・ロトロへの愛を感じたという。生涯の夢の恋人になり得たかもしれない人。

スージー・ロトロはイタリア系移民二世として生まれ、父親の影響で社会運動に意識的だった。高校生のときには原爆反対の嘆願書をまいたことで停学処分を受けている。スージー・ロトロの主張はシンプルだ。私たちは団結するために生まれてきたのであって分離するために生まれてきたのではない。スージー・ロトロの著書「グリニッチヴィレッジの青春」を読んだとき強く感じるのは、彼女がボブ・ディランに与えた様々な影響云々以上に、若かった2人が人生のある時期、ある時代を共に過ごしたことが、どんなことよりも尊いということだ。経済的には苦しかったが文化的には豊かだったグリニッチヴィレッジ時代。空腹のミュージシャンに食事を用意してくれる者もいたという。キューバ危機によりアメリカ国民が明日生きていることの保障さえ危ういといわれた激動の時代。スージー・ロトロ曰く、「私たち2人は住所不定の遊牧民(ノマド)だった」。2人は映画館や美術館でデートを重ねている。写真家ロバート・フランクが撮った伝説的なインディペンデント映画『Pull My Daisy』(1959) やフランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』(1959) に2人で衝撃を受けたこと。ニューヨーク近代美術館で開かれた「アート・オブ・アッサンブラージュ展」のビジュアルアートにボブ・ディランが好奇心旺盛だったこと。2人はお互いを育て合っていた。
『名もなき者』に描かれるボブ・ディランとシルヴィ・ルッソのすべてのシーンに初恋のようなときめきがある(バイクに2人乗りするシーンの美しさ!) 。同時にお互いの感情をコントロールすることができない、どうしようもない引き裂かれ感がある。2人だけが知る連帯。2人だけが知る痛み。恋人たちはお互いを知っていればそれで成立する世界を一瞬一瞬で生きている。ボブ・ディランの才能の開花と成功と変化を誰よりも一番近くで見ていた女性。なによりティモシー・シャラメとエル・ファニングの相性の良さが突き抜けている。困難な時代だ、愛を探せ!
