冒頭いきなりで大変恐縮だが、ここに明言する。DCエクステンデッド・ユニバース(以下:DCEU)最新作『シャザム!』は大傑作だ!!
アメコミ・ヒーロー映画に風穴を開けた――いや、正確に言えば、“ヒーロー映画”へ原点回帰させた『アクアマン』の大ヒットは、DCコミック映像作品が纏ってきた“複雑”“シリアス”といったヘヴィなテーマから、DCEUを文字通り解放した。DCEUに刺す、“誰もが楽しめるヒーロー映画”という大きな光。その第二の矢として放たれた『シャザム!』。新たなヒーロー映画の地平を切り開く本作を、原作コミックと共に紐解いていこう。
“シリアスじゃない”新時代王道ヒーロー『シャザム!』
「He’s not so serious」――
公開に先駆けて作られたトレーラーに躍ったこの言葉。なんと、『ダークナイト』(08年)をはじめとした“シリアス”な作品を生み出してきたDCコミック映画に似つかわしくない言葉だろう。しかし、この一言から分かるように、DCEUの新たなヒーローは、深く悩み、葛藤しない――いや、もしかしたら少しだけあったのかもしれない。ただ、そんなものは、あっという間に吹き飛ばす。ケレン味タップリ、抱腹絶倒、まさに王道の新ヒーロー誕生を祝う物語となった。
主人公である14歳の少年、ビリー・バットソンは、ある日、魔法の言葉「シャザム!」を唱えるだけで、人類最強ともいえる魔法の力を手に入れる。しかし、スーパーパワーを手に入れたといっても、まだ少年。ビリーが真っ先にヒーローオタクの友人、フレディと共に試すことと言えば、バットで殴られてみたり、火をつけてみたりと、ムチャな実戦形式で無敵ぶりをテスト。手から稲妻を出せると分かった瞬間、携帯充電に使い、大勢の前で大道芸代わりに披露しては小銭を荒稼ぎ……と、やることなすこと子どものイタズラレベル。初めて買ったビールの味で大人の階段をのぼり、ストリップクラブに潜入を試みるシーンでは、吹き出してしまうこと請け合いだ。このように物語は全編にわたり“見た目は大人、中身はコドモ”という逆・名探偵コナン状態のビリー/シャザムの、ドタバタな活劇が展開されていく。
『シャザム!』を巡る二大テーマ、“ヒーロー誕生”と“絆の形”
とはいえ、ビリーのスーパーパワー珍道中で物語は終始しない。ヒーロー映画として大事な要素二つを軸に物語は大きく回っていく。
一つ目は“ヒーローとしての目覚め”だ。スーパーパワーをお遊び感覚で使い続けるビリーの元に、ビリーの力を狙うヴィラン、Dr.サディアス・シヴァナが襲来。シャザム同様の力を持つシヴァナと初対峙した際に、情けない姿を見せ、自らの力と宿命から一度は目を背ける形で屈してしまうビリー。しかし、大切な人が危機に瀕した時に、ビリーは再び立ち上がる。強大な力を持てばヒーローではない。強くありたいという想いが芽生えた時、誰もがヒーローになれるのだ。この教えはマーベルの傑作『スパイダーマン:スパイダーバース』に通じる。終始軽口を叩きノリだけで危機を乗り越えてきたビリーが真のヒーローへと生まれ変わる瞬間、きっと観客は胸に熱いものがこみあげてくるはずだ。
もう一つのテーマは“絆の形”である。ビリーは、唯一の肉親である母に捨てられた過去を引きずるあまり、他者を信用しない。新たな里子先のバスケス家においても例外ではない。少女ダーラ(演じる、フェイス・ハーマンがキュートに熱演!)の熱烈なハグでの歓迎も、家族全員で行う「いただきます」のルーティンもくだらないと切り捨てる。ビリーにとってはこの仲睦まじさも所詮、血の繋がりなき故の偽りでしかないのだ。そんな彼を、バスケス一家は優しく受け入れ、孤独から解放していく。血の繋がり以上の絆を得るビリー、その対比として描かれる血の繋がった家族への復讐心に囚われたあまり、人道を外したシヴァナの誕生秘話。二人がぶつかり合うたびに、その光と影が色濃くなる展開は見事だ。
孤独な少年が一人のヒーローへと成長するドラマと、絆の形を描きながら、そこにタップリとアクションとノンストップギャグをコーティングしていく。さらには、『ライト/オフ』(16年)、『アナベル 死霊人形の誕生』(17年)で鮮烈な恐怖描写を見せたデヴィッド・F・サンドバーグ監督らしい、ショック演出も冴えわたる。笑えて少しホロリときて、最高に燃えた後にまた大笑いで閉める。まさに一級の娯楽作だ。