May 11, 2025 news

北大路欣也が『仁義なき戦い 広島死闘篇』上映後に登壇 知られざる撮影秘話を語り大喝采 「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクト

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1960年9月20日に開業した映画館「丸の内TOEI」。まもなく閉館を迎える本館の約65年という長い歴史のグランドフィナーレを彩る「さよなら 丸の内TOEI」プロジェクトにおいて、去る5月11日(日)、北大路欣也による、『仁義なき戦い 広島死闘篇』上映後舞台挨拶が開催された。

1973年4月に公開された『仁義なき戦い 広島死闘篇』は、同年1月に公開された『仁義なき戦い』の続編となる“仁義なき戦いシリーズ”第2作目。昭和27年、呉。村岡組と大友連合会は再び抗争。刑務所入りしていた山中正治(北大路欣也)は大友連合会からの凄惨なリンチを受けたことをきっかけに村岡組の組員となったが‥‥

『仁義なき戦い 広島死闘篇』のメインテーマとともに丸の内TOEIの舞台へ登壇した北大路は「今日はこの劇場に来てくださりありがとうございます。1960年に出来上がったこの丸の内TOEI、私はまだ17歳でした。ここでの初めの記憶は、『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』の舞台挨拶でここに立たせていただいて、片岡千恵蔵先生、父親(市川右太衛門)、中村錦之助さん、大川橋蔵さん、皆さんが壇上からご挨拶をなさって、私が端の方でご挨拶をさせていただいたのを覚えております。今日こうしてこの舞台に立てるのは何とも言えない気持ちであります」と挨拶した。

実は同じ上映回を北大路も鑑賞しており「ちょうど52年前の作品。私は29歳だったと思います。今、この映画を見せていただいて、作品にかかわるほとんど全ての方々に若い時代からお世話になり、育てていただいたことを思い出し、私の基礎になっているなと感じ、言い表せない感動、この作品に出会えた喜び、そういうものが何度も何度も蘇ってきました。そして、今日皆さまと一緒にこの作品を観ることが出来て本当にこんな幸せなことはありません。本日はどうぞよろしくお願いいたします」との言葉に、観客からは割れんばかりの拍手が送られた。

『仁義なき戦い』第一作目は沖縄で仕事中鑑賞し、自ら第二作目の出演を申し出たという北大路は「沖縄返還のすぐ後の年ですね、この73年というのは。仕事で沖縄へ行かせていただきましたが、まだ返還まもなくですから、その状況というのは、ある意味では、私にとってはショックでしたね。ああ、こういう状況の中で沖縄の方々が生活していらしたのかと思うと、胸にくるものがありました。そしてその中で、『仁義なき戦い』の第一作が劇場で流されているというので『これは見なくては』と、沖縄で感じた言い表せない思いを持ちながら鑑賞しました」と明かした。

そして「作品から出てくるエネルギー、何とも言えない激しい波動に揺さぶられました。戦後の雰囲気が目の前にある状況でこの映画を観たこともあり、深作監督や脚本の笠原和夫さんといった戦争を経験した方々の『このままでたまるか!』『これから日本をどうするのか!』という熱い思いも映画から感じたものですから、二作目を撮影されるなら何としても参加したいと思いました。そういう熱い思いの中で映画を作っているスタッフの方々にも会いたいし、菅原文太さんはじめ皆さんの形容しがたい雰囲気の中に身を置いて経験してみたいと思い、『ぜひ出してください』と監督やプロデューサーの方にお願いをしました」と続けた。

『仁義なき戦い 広島死闘篇』はシリーズ5作品の中でも異色作とも言われ、菅原文太が狂言回しとして脇にまわった作品。ただシリーズ最高傑作との呼び声も高く、脚本の笠原和夫も「一番好きで、愛着のある作品である」という言葉を残している。

そんな本作には、北大路が演じた山中正治と千葉真一が演じた大友勝利の役についての有名なな逸話がある。当初のキャスティングでは北大路が大友を、千葉が山中を演じるはずだったが、クランクイン直前に北大路自ら役の交代を監督やプロデューサーに申し出たという。北大路はこの背景について「千葉さんとはその数年前に『海軍』という映画で、私は初めての現代劇だったのですが、ご一緒したことがあります。その時に感じた千葉さんの波動、エネルギー、それが頭の中にこびりついていて、『仁義なき戦い 広島死闘篇』の台本を読んでいるうちに大友が出てくると千葉さんの顔が出てくるんですよ」と話し、会場の笑いを誘う。

「何回読んでもそうだったので、これは正直に監督やプロデューサーに言うしかないと思い『僕としては山中をやりたいです』と伝えました」「千葉さんは承知してくれないだろうと、当然のことながら思っていました。ただその時の思いというのは、あの“沖縄”から繋がっていまして、溢れ出すものがあったのです。この作品の中に、ある意味での清濁が生まれたのではないかとも感じました」「現場で千葉さんと目を合わせると何となく睨まれているような(笑)。役そのままで、傍にいるのも怖いくらいでした。ただクランクインして1週間くらいで監督に呼ばれまして。『欣也くん、これはお互いこの役で正解だな』と言われ、『良かったあ~!』と心の底から嬉しかったですね。千葉さんはご一緒した『海軍』の撮影現場では非常にリーダーシップを取られて、私も色々な教えもいただきましたから、そういう出会いがあったので役の交代も飲んでくださったのではないかなと思っております」と振り返った。