May 12, 2025 column

映画『ノスフェラトゥ』なぜ吸血鬼は現代によみがえったのか

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映画史に燦然と輝く吸血鬼映画の原点『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)。そのリメークに挑んだロバート・エガース監督の最新作『ノスフェラトゥ』が、5月16日に公開される。本コラムでは、オリジナル版との比較を踏まえつつ、本作独自の魅力、そして、なぜ今この物語が再び語られたのかを探っていく。

名作ホラーの再構築

「ノスフェラトゥ」は吸血鬼の総称として使われるが、古代スロバキアの言葉が語源になっているらしい。

オリジナル版『吸血鬼ノスフェラトゥ』(F・W・ムルナウ監督)は、ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」を翻案した作品だが、著作権の問題から登場人物の名前などを変更して製作された。それでもなお、その陰影を強調した映像表現や、マックス・シュレック演じるノスフェラトゥの異形な存在感は、後世の吸血鬼映画に多大な影響を与え、1978年にはヴェルナー・ヘルツォーク監督がリメーク版『ノスフェラトゥ』を制作している。

そんな名作の2度目のリメークに挑んだのは、ホラーの名手ロバート・エガース監督。幼い頃から『ノスフェラトゥ』に夢中になったそうで、いずれは自分なりの作品を作りたいと考えていたという。これまで3作の長編映画を手掛けているが、そのフィルモグラフィーを見れば、“さもありなん”と納得できる。

デビュー作『ウィッチ』(2015)は今やトップスターとなったアニャ・テイラー=ジョイ主演作で、17世紀の魔女伝説を取り上げた。第2作『ライトハウス』(2019)はロバート・パティンソン&ウィレム・デフォー共演作で、19世紀のニューイングランドの灯台守2人が狂気に侵されていく姿をモノクロで描くクラシカルなホラー。第3作『ノースマン 導かれし復讐者』(2022)は9世紀の北欧を舞台にした復讐アクション大作。いずれも、徹底的な時代考証と重厚な映像美、そして人間の根源的な恐怖や信仰を描き出してきた。

『ノスフェラトゥ』の舞台は、19世紀の北ドイツ。若き不動産業者トーマス・ハッター(ニコラス・ホルト)のもとに、奥地に住むオルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)という謎めいた貴族からの仕事の依頼が舞い込む。故郷に残る美しい妻エレン(リリー=ローズ・デップ)を案じながらも、トーマスは富と名声への誘惑に抗えず、陰鬱な古城へと旅立つ。そこで彼を待ち受けていたのは、想像を絶する恐怖の化身だった──。

主演は、『IT/イット』のシリーズのペニーワイズ役で知られるビル・スカルスガルド。彼が演じるノスフェラトゥは、後年のドラキュラでよく描かれたセクシーさはまるでない。病的な不気味さに、より洗練された得体の知れない恐怖を加えた悪魔のような存在だ。わずかな動き、瞬き、沈黙すらも緊張を生むその佇まいは、観客を一瞬で異世界へと引き込む。

ヒロインのエレンは、ジョニー・デップの娘、リリー=ローズ・デップ。本格ホラー映画は初挑戦となるが、単なる被害者ではなく、物語の中核を担う存在としての深みを感じさせる。幼少期に、快楽の末に吸血鬼との約束を交わしてしまい、夜ごと夢に現れる<彼>の幻影に怯える。しかし、トーマスとの愛に目覚めてからは自らの意思で恐怖に立ち向かう。その姿には、現代的な女性の強さと繊細さが同居している。 また、夫トーマス役にニコラス・ホルト、彼の友人フリードリヒ役にアーロン・テイラー=ジョンソン、そしてエガース作品常連のウィレム・デフォーも名を連ねるなど、豪華な布陣が物語を支える。全員がこの退廃的なゴシック世界に違和感なく溶け込んでおり、まさにキャスティングの妙と言えるだろう。

恐怖がよみがえる時代背景

ムルナウ監督の伝説的なサイレント映画を再構築するにあたり、エガースは単なる焼き直しに留まらず、現代の観客に向けて新たな恐怖と問いを提示しようとしている。オリジナル版への敬意を払いながらも、19世紀の退廃的な空気感や、人間の内面に潜む闇を深く掘り下げている。

ノスフェラトゥは、まるで病そのものだ。オリジナル同様、奥地から都会にやってきて、人々を噛む。しかし、噛まれた人を吸血鬼にするわけではなく、その先にあるのはただ死あるのみ。オリジナル版同様、ねずみを引き連れ、ペストを蔓延させる。現代人には、コロナのパンデミックの恐怖を思い出させる。

100年以上前に製作された『吸血鬼ノスフェラトゥ』が、なぜ現代においてリメークされるのか。その理由は、この物語が持つ普遍的なテーマにあると考えられる。

一つには、人間の根源的な恐怖、すなわち「死」と「異質なもの」への畏怖が挙げられる。吸血鬼は、不死の象徴でありながら、生者の血をすすることでしか生きられないという矛盾した存在だ。その異形な姿は、人間の理解を超えた不気味さを体現しており、時代を超えて人々の心を捉えてきた。エガースは、この根源的な恐怖を、最新の映像技術と自身の独特な演出によって、より深く、より生々しく描き出した。

また、物語の舞台となる19世紀という時代背景も重要だ。産業革命が進み、科学技術が発展する一方で、迷信や伝承も根強く残っていたこの時代は、合理性と非合理性、進歩と退廃が混在する、ある種の混沌とした空気をはらんでいる。エガースは、そのような時代の雰囲気を緻密に再現することで、物語にさらなる深みを与えている。

さらに、近年、過去の名作ホラー映画のリメークやリブートが相次いでいることも、本作の製作を後押しした要因の一つかもしれない。しかし、エガースは単なる懐古趣味ではなく、自身の作家性を強く打ち出した作品を志向し、オリジナルの精神を受け継ぎながらも、現代の観客に新たな衝撃を与える、唯一無二の『ノスフェラトゥ』を創り出した。

『ノスフェラトゥ』をより深く楽しむために、可能であればオリジナル版『吸血鬼ノスフェラトゥ』を事前に鑑賞しておくことをお勧めする。モノクロームの映像、早回しや影の演出、そして何よりもマックス・シュレックの強烈な存在感は、映画史に残る重要な要素であり、エガース版との比較を通して、リメークの意味合いや監督の意図をより深く理解することができるだろう。

しかし、オリジナル版を知らない観客も心配する必要はない。エガースは、自身の作品世界を確立しており、本作もまた、独立した一つの作品として十分に楽しめる。むしろ、先入観なしに、エガースが創り出す新たな『ノスフェラトゥ』の世界に身を委ねればいい。

エガース版『ノスフェラトゥ』は、単なる過去の遺産の再利用ではなく、現代の視点と技術によって、吸血鬼伝説の根源的な恐怖を甦らせる試みと言えるだろう。監督が幼少期から憧れた作品への執念は、驚くほどの“本物”へのこだわりとして表れている。たとえば、撮影ではキャンドルの光に適したレンズを使い、19世紀の建築を忠実に再現した約60ものセットを組み上げ、本物のネズミ約2000匹を登場させるという狂気すら感じさせる徹底ぶりだ。

こうした圧倒的な映像美と演出力は、世界中の映画関係者からも評価され、第97回アカデミー賞では撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門にノミネートされた。まさに、恐ろしくも美しい“ゴシック・ロマンスホラー”の決定版となった。

文 / 平辻哲也

作品情報
映画『ノスフェラトゥ』

ロバート・エガース監督が、幼少期に夢中になった1922年に作られたF・W・ムルナウ監督のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』に独自の視点を入れて創り上げた渾身の新作。

監督・脚本:ロバート・エガース

出演:ビル・スカルスガルド、ニコラス・ホルト、リリー=ローズ・デップ、アーロン・テイラー=ジョンソン、エマ・コリン、ラルフ・アイネソン、サイモン・マクバーニー、ウィレム・デフォー ほか

配給:パルコ ユニバーサル映画

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2025年5月16日(金) TOHOシネマズ シャンテほかにて公開

公式サイト universalpictures.jp/micro/nosferatu