とてつもない傑作である。5年間のレッスンを受けボブ・ディラン役を演じたティモシー・シャラメは、これまでとは明らかに別次元の演技のフェーズに入っている。ジェームズ・マンゴールド監督とティモシー・シャラメによる待望の『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』には役を演じることによる生き方の発見、魂の共鳴の瞬間までもがフィルムに収められているように見える。演奏者と同じくらい音楽を聴く者(目撃する者)にカメラを向けているからそう見えるのだろうか。ボブ・ディランがどのような風景を見たのか。ボブ・ディランの前をどのような人が通り過ぎていったのか。ここには音楽の発見と誕生、そしてオーディエンスやミュージシャンへの作用のプロセスまでもが感動的に描かれている。
ティモシー・シャラメだけではない。エル・ファニングとモニカ・バルバロ、エドワード・ノートン、ボイド・ホルブルック、全員のキャストのアンサンブルが素晴らしい。キャラクター別に一本の映画を見たいほどだ。エル・ファニングは12歳のときキャメロン・クロウ監督からボブ・ディランの音楽を教わり、手のひらに“ボブ・ディラン”と書いていたほどボブ・ディランの大ファンであり、スージー・ロトロをモデルにするシルヴィ・ルッソ役は彼女にとって悲願の役でもある。キャスト陣がそれぞれ最高の体験をしているように見えるのだ。これほど幸福なアンサンブルで制作された音楽映画の誕生に感謝したい。誇張でもなんでもなく、筆者は上映時間の半分くらい涙がこぼれそうになっていた。
天才の登場、ボブ・ディランが見た風景
「芸術家は目的に到達したと思ってはいけない。いつもどこかに向かう過程にあると思うべきだ。」(ボブ・ディラン『ノー・ディレクション・ホーム』)
1961年の1月、ミネソタ州からやってきた青年がニューヨークに到着する。ギターケースを抱えたボヘミアンルックな青年は、わずかな所持金を握りしめこの街に降り立つ。ウッドストック以前、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンの登場以前、ヒッピーカルチャー以前の1961年。激動の60年代だが、街の色彩はまだまだ50年代の空気を残している。ゴミだらけのストリートの雑多な匂いが地面から蒸気のように漂っている。ストリート・ミュージシャンの奏でる音楽。あらゆる街のノイズ。無名の青年はニューヨークの景色と騒音に包まれる。ボブ・ディランを名乗ることになる痩せ細った青年は、この街の景色の一部となり、やがて街そのものを衣装のように纏っていく。ボブ・ディランが見た景色、聞いた音楽。『名もなき者』の冒頭、ミュージック・コンクレートのようにコラージュされた街のノイズには、ボブ・ディランというアーティストがどのように形成されたのか、そのプロセスが表現されている。
青年は尊敬するウディ・ガスリーが入院する病院へと向かう。ウディ・ガスリーへの道。若き日のボブ・ディランが思い描いた旅のスケッチの到着点に、伝説的なフォークシンガー、ウディ・ガスリーの姿がある。ボブ・ディランはウディ・ガスリーの前で「ウディに捧げる歌」を披露する。後にデビューアルバムに収録されることになる2曲のオリジナル楽曲の内の1曲だ。ボブ・ディラン=ティモシー・シャラメが歌い始めた瞬間に、歴史が、物語が動き始める。天才の登場である。
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ジェームズ・マンゴールド監督は、ギターの演奏が映画の決定的な“転換”となるシーンを、これまでに何度か撮ってきた。『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005) におけるジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)が自作の曲を歌うオーディションのシーン。あるいは『17歳のカルテ』(1999) におけるスザンナ・ケイセン(ウィノナ・ライダー)がアコースティックギターを手に「恋のダウンタウン」を弾き語るシーン。『名もなき者』のボブ・ディランは「ウディに捧げる歌」をフルコーラスで演奏する。
この感動的なシーンは、天才の登場を世界に告げると共に、ミネソタからやってきた青年ロバート・ジマーマンがボブ・ディランとなった決定的な“出発”の瞬間を捉えている。そして出発とは別れのことでもある。この演奏によって、ボブ・ディランはロバート・ジマーマンという本名に完全な別れを告げる。ボブ・ディランという新たな人格を作り上げることに成功する。映画の命運を左右する重要なシーンを、ティモシー・シャラメは生の歌と演奏で見事に応えている。ここには生演奏への強力な集中力がある。目の前にいるあなたへの献身がある。ボブ・ディランは歌う。“ねえねえ、ウディ・ガスリー、あなたのために歌をつくったよ”。
ジェームズ・マンゴールドが生の歌と演奏にこだわった理由は、映画が始まってすぐに明らかになる。裁判所から出てきたピート・シーガー(エドワード・ノートン)が、殺到するマスコミ陣の前でバンジョーを抱え、トーキングスタイル、あるいはフリースタイルのような形で演奏を始めるシーンだ。ピート・シーガーの演奏自体がオーディエンスとの対話になっている。団結を呼びかけるピート・シーガーの、理想主義者としての側面が描かれている。同時にここには言葉への献身がある。そのためには楽器や歌声が演奏者の身体と一体になる必要がある。この映画の観客はフォーク・ミュージックの真髄の一端を目の当たりにする。
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