Feb 28, 2025 column

オスカー作品賞受賞となるか !? 21世紀のアンチ・シンデレラ・ストーリー『ANORA アノーラ』(vol.62)

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先週2月22日現地時間、サンタモニカ・ビーチでおこなわれたフィルム・インディペンデントによるインディペンデント・スピリット賞授賞式。ようやく日常がもどりつつあるサンタモニカでも、1月の強風による山火事の影響は続き、マリブ側の道路閉鎖、海水汚染や住居のユーティリティ設備工事の遅れなど、被害の爪痕が大きく残っている。春日和にめぐまれた授賞式には、カジュアルなビーチパーティ姿で訪れたスターが出席、オスカーまでのカウントダウンを祝うムードで溢れていた。

著者撮影

作品賞、監督賞、主演俳優賞と3部門の受賞に輝いたのが、昨年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したインディペンデント映画『ANORA アノーラ』。インディ映画を作りつづけ、今年53歳となった監督ショーン・ベイカーは「僕の親の次に、キャリアを支えてくれた団体に感謝します。」とフィルム・インディペンデントに感謝。「この受賞は嬉しい。(途中略)しかし、自ら作りたいものを作るには平均3年は必要で、君たちが脚本家や監督でブレイクしようとしているなら、映画を無償で作ると思っていた方がいいほど、生活苦は覚悟しなくてはならない。僕には子供がいない。一生、インディ・ライファー(人生)でいると思うが、インディ映画制作がもっと持続可能な環境になってほしいと心から願う。」とハリウッドの若い作り手の切実な現状を語り、観客の声援を浴びていた。今回のコラムでは、常に自ら伝えたい物語を自ら脚本にして撮り続けるベイカー監督のど根性映画づくりの魅力をお伝えしたい。

インディ映画がアカデミー賞を獲得する意義

予算600万ドル(日本円で約9億円)に対し、世界興行収入3800万ドル(日本円で約12億円:2025年2月26日現在)と記録を更新しつづける映画『ANORA アノーラ』がなぜ、これほどまでに注目されているのか。その背景は、大富豪、少数の裕福な支配層によって揺さぶられる現在の米移民社会にある。

『ANORA アノーラ』の舞台は、ニューヨークブルックリン区コニー・アイランドのすぐ近く、地元のリゾート地ブライトン・ビーチ。コニーアイランドは、東海岸を舞台にした名作で多くとりあげられてきた。ウディ・アレン代表作『アニー・ホール』(1977) 、ダーレン・アロノフスキーの『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000) など、数々の監督が、米東海岸の大衆文化あふれるリゾート地を舞台に切ない物語を作り続けてきた場所。ブライトン・ビーチはロシア系、ウクライナ系の移民社会のクライムサスペンス映画『リトル・オデッサ』(1994) でも有名な場所。日本ではあまり知られていない米監督ショーン・ベイカーもその地と人に魅了された一人。ニューヨーク大学映画学科卒業後、iPhoneで全編を撮影した『タンジェリン』(2015) がインディペンデント・スピリット賞で作品賞、監督賞を含む4部門にノミネート。一昨年、日本でも公開され話題となった『レッド・ロケット』がA24から北米配給され、一躍、彼の作風が一般に広く知られるようになっていったのである。ベイカー監督の題材は、常にアメリカの底辺を支える労働者やその日暮らしの白人社会の葛藤を描いている。ヘロイン常用、そして中毒克服のためにリハビリを経験したことがあるというベイカー監督の作品には常にセックス、ドラッグ、ロックンロールがつきもの。この『ANORA アノーラ』の舞台ブライトン・ビーチは、70年代に多くのユダヤ系ロシア移民が根付いた町。映画のオープニングにあるストリップ・バーは「ヘッドクォーター」という名前で、そこが町の中心部かのようにさまざまな階層がナイトライフを求めてくる場所。映画のオープニングでは、そのストリップ・バーの労働者階級を長いロングショットで遠くから撮影するため、台本はあくまでも青写真だったそう。女優マイキー・マディソンの即興演技が織りなされ、監督が尊敬するという故ロバート・アルトマン監督のドキュメンタリーのような手法が展開される。

ベイカー監督は、映画『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』(2012) でインディペンデント・スピリット賞ロバート・アルトマン賞を受賞している。アカデミー賞名誉賞を受賞してこの世を去ったアルトマン監督。彼の作風は「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれ、常に反骨精神むきだしな主人公を中心とした群像劇で人気だった。ベイカー監督は負けん気の強い主人公アノーラを筆頭に、現在のアメリカで自由奔放に生き、金と権力という資本主義の中で夢破れる現実をリアルに描き、若さととめどもない情熱が炸裂するラブストーリーを完成させている。

物語の主人公はアニーこと、アノーラ。ストリップダンサーという仕事に引け目を感じていない23歳のロシア系アメリカ人。稼ぐために、自らの仕事に誇りをもって日々を暮らし、通訳もかねて、ロシア人御曹司のテーブルに招かれる。御曹司の豪邸に招かれたアニーはこの家の資産がどこからくるのか疑問に思いながらも、顧客との金銭交渉後、プライベートなエスコートとして”契約彼女”となる。御曹司の親しい友人に紹介され、豪華なパーティにショッピング、ラスベガス旅行と贅沢三昧の絶頂で結婚を申し込まれ、まさかのゴールイン。棚ぼたのように訪れた転機に酔いしれ、4カラットのダイヤモンド指輪をかざして、同僚に別れを告げ、ストリップバーを去る。しかし、その幸せも束の間、甘やかされた御曹司の両親がその結婚を知って激怒。バカ息子のお世話をしていた屈強なマフィアのような男性数名がその結婚を白紙に戻すために、2人を幸せの絶頂から現実に引きずりおろそうとするのだが、アニーはそこかしこの、脆い女性ではない。体当たりで自らの結婚の正当性を主張し、映画はコミカルに展開していくのである。

『ANORA アノーラ』は今年2月初めのクリティクス・チョイス・ムービー・アワード (放送映画批評家協会賞 / Critics’  Choice Awards / CCA) で作品賞を受賞して以来、プロデューサー組合賞 (PGA)作品賞 、全米監督協会賞 (DGA) で長編映画監督賞を受賞。賛否両論があるものの、英国アカデミー賞(BAFTA) の作品賞と全米映画俳優組合賞 (SAG) の最高賞にあたるアンサンブル・キャスト賞を受賞した『教皇選挙』とオスカー争いで大接戦を繰り広げている。2月7日付でThe Wrapがまとめたノミネート作品世界興収のトップ3は『デューン 砂の惑星PART2』がトップで71,460万ドル(日本円で約1,066億7,000万円)。続く大ヒットミュージカル『ウィキッド ふたりの魔女』が71,080万ドル(日本円で約1,061億円)。そしてオスカー受賞可能性大の『教皇選挙』がほぼその十分の一の7,790万ドル(日本円で約117億円)で、『ANORA アノーラ』はその半分、3,370万ドル(日本円で約51億円)で健闘している。アカデミー協会員がインディ映画を作品賞に選ぶ意義は、そういった一般の観客が見に行かない小さな秀作に日の光を当てることなのかもしれない。