Sep 11, 2019 regular
#23

永遠のプリンス・オブ・ブロードウェイ――ありがとう、ハロルド・プリンス

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伊達 なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。"The Japan Times"に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

プロデューサーおよび演出家として、彼以上ブロードウェイに貢献したクリエイターは、この先もう現れないでしょう。7月末に91歳で客死したハロルド・プリンスの偉業はとても語り尽くせませんが、昨年行った取材時の印象と、最期を知る友人から聞いた話を添えて、追悼と感謝に代えたいと思います。

NTライブのアンコール上映で、やっと評判の高かった『フォ(ー)リーズ』(ドミニク・クック演出)を観た。取り壊される前の劇場に集まった往年のレビュー・スターたちの追憶の断片が、その場に現れては消えてゆく。花火のような舞台の宿命と、だからこその魅力と。切なくも愛おしい、スティーヴン・ソンドハイム(詞・曲)らしいおとなのミュージカルだなあ、としみじみした。

初演は1971年。前年1970年初演の『カンパニー』を皮切りに、『リトルナイト・ミュージック』(1973年初演。以下同)、『太平洋序曲』(1976)、『スウィニー・トッド』(1979)など、10年間にわたって若きソンドハイムとコンビを組み、複雑で知的で陰影に富む、その繊細な世界を的確に具現化した最初の演出家が、ハロルド・プリンスだった。そう思ったら、さらにジーンとこみ上げてきた。

7月31日に亡くなるまで、演出家およびプロデューサーとしてハロルド・プリンスが獲得したトニー賞の数は、なんと21回!(ノミネートをあわせると全38回)まさに空前絶後の偉業だ。真っ先に取り上げられるのが、現在もブロードウェイのロングラン記録を更新中の『オペラ座の怪人』(1988)なので、クラシカルかつゴージャスなコスチュームプレイのイメージが先行するかもしれないけれど、基本的には、華やかなブロードウェイ・ミュージカルの題材にはおよそなり得ない、シビアな社会問題や事件などを積極的に取り上げる、果敢なクリエイターだった。

最後の演出作品となったのは、2015年に日本で先だって上演され、2017年にブロードウェイで装いも新たに期間限定上演された『プリンス・オブ・ブロードウェイ』。『ウエスト・サイド・ストーリー』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『フォーリーズ』『キャバレー』『オペラ座の怪人』など自らがかかわってきた多くの成功作に失敗作まで加えた洒脱なレビュー・ショーだった。キャスト・アルバム発売中。COURTESY OF GORGEOUS ENTERTAINMENT

ナチスの台頭で崩壊してゆくベルリンの悲哀が鮮烈な『キャバレー』(1966)、黒船来航に江戸幕府の人々が右往左往する『太平洋序曲』、実際に起きたえん罪事件を検証する『パレード』(1998)などなど、ハードかつアクチュアルなテーマを掘り下げ、ミュージカルの新たな地平を切り拓くフロンティアであり続けた。

「『オペラ座の怪人』だって、ただのスリラーじゃないんだよ。異形の人の外見にギョッとする態度は失礼だとわかっていながら、怖いと感じてしまう人間の感情について、描こうとした作品だからね」

そうにこやかに話してくれたのは、昨年5月のことだった。生きているうちに逢っておきたいという念願がかなって、ニューヨークのロックフェラーセンターのオフィスを訪ね、手がけた作品のポスターやスタッフとの写真に囲まれたデスクで、話を聞いた。

2018年5月、ロックフェラーセンター内の自らのオフィスで。「『フォーリーズ』という大好きな作品があってね。権力もお金もある恵まれた大人たちが、名誉や権力のために、大事なものを犠牲にしたことに気づく話なんだよ」

20歳でこの業界に入って以来、70年間ずっと劇場街ではなく、アメリカを代表する各種大企業がひしめくニューヨークのビジネスの中心地ロックフェラーセンターを根城にして、社会の動きをつねに感じ取っているのが好きだと話していた。「根っからのポリティカル・アニマル(政治好き)」を自称し、売れっ子スターや、評価の定まったものよりも、自分がエキサイトできる、斬新なアイデアを持つ人材や、テーマにこだわった。

キリストをスーパースターに見立てた過激なロックミュージカルを創った若き音楽家・アンドリュー・ロイド=ウェバーから直に売り込まれた『エビータ』の演出は喜んで引き受けたが、これが大ヒットした後に持ち込まれた同氏の『キャッツ』には食指を動かさなかった、というのはその好例。

90歳にはとても見えない、溌剌とした表情とクリアな頭脳。足腰もしっかりしていて、朝から精力的にミーティングをこなし、取材時もサービス精神いっぱいで、昔、ソンドハイムと一緒に東京で歌舞伎を観て、中村歌右衛門の楽屋を訪ねたことや、昭和天皇に会った話などもしてくれた。

現在進行中の企画も複数あり、19世紀末に女性の権利のために闘った女優の話や、自閉症の子どもたちとミュージカルを上演するドキュメンタリーに基づく新作の話が、進んでいるということだった。

その後もずっと元気だったそうだが、今年に入って少し体調を崩し、その状態で毎夏を過ごすスイスに移動したのが、よくなかったらしい。容態が悪化し、帰国のため救急搬送用の飛行機をチャーター。その給油地のアイスランドで、帰らぬ人となった。

アイスランドだなんて、ブロードウェイにも、たぶんプリンス氏自身にも何の縁もない異国の地で……と最初は気の毒に感じたけれど、いやいや、誰も思いつかないこの最期のシナリオこそ、さすがハロルド・プリンスなのでは、とインタビューをアレンジしてくれた友人に言われて、膝を叩いた。そうだ、それでこそ冒険好きのハロルド・プリンスだ。

演出を手がけるつもりだった自閉症の子どもたちとの新作は、作詞家と作曲家、プロデューサーに、いずれもまだキャリアの浅い若者を抜擢していたという。現在もこの企画は、具体化に向かって準備が進められているそうだ。

かつてソンドハイムやロイド=ウェバーを起用し、その才能の開花をサポートしたように、生涯現役で、若手を発掘し続けたハロルド・プリンス。Kingの座にふんぞり返ることなく、その名のとおりPrince of Broadwayであり続けた大レジェンド。もう、なんてかっこいいんだろう!

公演情報

1957年の初演時はハロルド・プリンスがプロデューサーのひとりだった『ウエスト・サイド・ストーリー』が、360°回る劇場で絶賛上演中。

『ウエスト・サイド・ストーリー』

公式サイト
https://www.tbs.co.jp/stagearound/wss360_2019/

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