Aug 14, 2019 regular
#19

あいちトリエンナーレ2019にて――ミロ・ラウと平和の少女像と弓指寛治

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伊達 なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。"The Japan Times"に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

8月1日の開幕と同時に話題騒然のあいちトリエンナーレ。2日目にミロ・ラウ(IIPM)+CAMPOの『5つのやさしい小品』を、3日目に『表現の不自由展・その後』や弓指寛治『輝けるこども』を観て感じたことなど。

この連載コラムでも何度か触れているミロ・ラウの舞台を観ることを主な目的に、8月2日から3日にかけて、あいちトリエンナーレに行ってきた。

あいちトリエンナーレ2019 のメイン会場のひとつ愛知芸術文化センター。ミロ・ラウ(IIPM)+CAMPOの『5つのやさしい小品』を観に行った8月2日の夕方はまだ静かだった。

2016年に初演され、大きな反響とともに世界各地で上演を続けている『5つのやさしい小品』(コンセプト・テキスト・演出/ミロ・ラウ)は、’90年代にベルギー中を震撼させた少女監禁殺害事件を題材に、被害者とほぼ同年代のベルギーの子どもたちの出演によって、事件とその背景を舞台上で再構成する、というもの。こうした、実際に起きた事件について詳細なリサーチを行い、独自の方法で舞台上に再現するというスタイルは、ラウが行うさまざまな表現形式の中で、たぶんもっともよく知られものだ。

ラウによれば、この事件――犯人の名前からマルク・デュトルー事件と呼ばれる――はショッキングな監禁殺人であるだけでなく、「デュトルーという人物を通じて、ベルギー史を語ることができる」(当日パンフ掲載のラウへのインタビュー)ほど、ベルギー国民にとって重要な問題を内包しているとのこと。

ただ、その国情を包括的に理解しているとは言いがたい極東の一観客としては、複数の少女が監禁・レイプ・殺害された事実と、その少女たちや小児性愛者の犯人役を「子どもに演じさせる」という行為があまりに衝撃的なため、観劇にあたり、意識のほとんどはその点に向かった。

オーディションで選ばれた7名の子どもたちが、唯一成人の出演者である演出家役の俳優の指示のもと、犯人デュトルーとその父親、被害者、その両親、警察官らの関係者を演じてゆく。彼らにはムービーカメラが向けられており、観客は、それを映し出す舞台上のスクリーン映像を含めた撮影現場全体の様子を見守る、という構造。さらに、スクリーンには、舞台で子どもたちが演じるのと同じシーンを、大人の俳優が演じる映像が映し出されることもある。

ミロ・ラウ(IIPM)+CAMPO『5つのやさしい小品』あいちトリエンナーレ2019公演より。少女監禁殺人事件の凶悪犯デュトルーの老いた父を演じる子ども(前方)と同じシーンを演じる大人の俳優(後方スクリーン)。©Aichi Triennale 2019 Photo:Masahiro Hasunuma

かなり重層的でこんがらがってくる。つまり、
①実際に起きたデュトルー事件を前提に、
②デュトルー事件の背景を追った映像作品(大人の俳優が演じる)と、
③デュトルー事件の背景を追った舞台作品(子どもたちがライブで演じる)が展開し、③の中では、デュトルーによる監禁・レイプについて証言する少女を演じる子どもと、演技指導をしながら彼女に服を脱ぐよう指示する演出家の姿が描かれ、それを凝視する観客を含めたセカンドレイプ状態が、舞台上に現出する。これらのことからラウは、
④大人が子どもを使って演劇を上演するという構造自体が、弱い者を暴力で支配するデュトルーの行為に重なるという事実
を自覚的に提示する。さらにこれを突きつめれば、俳優と演出家の関係にも重なるし、ひいては「演技する」という行為について考えることにもなり、最終的には
⑤演劇とは何か
との命題にまで行き着く。

「子どもと演劇を創る」という機会をベルギーのゲントにあるアーツセンターCAMPOから与えられたミロ・ラウは、ひとりの小児性愛者が起こした事件から出発して、(ベルギーという国家の持つ膿を可視化し、さらに)演劇の本質について考えるところまでを、少なくとも⑤層にわたって複合的に描いて見せた、ということになる。

こうした大人の思惑とはべつに、さまざまな追体験にさらされる子どもたちのことが心配になるが、終演後のポストトークで演出家役のペーテル・セイナーフ氏が語ったところでは、6か月にわたる稽古には、子どもたちのケアにあたる心理学者も定期的に参加したが、子どもたちは各状況をゲームのように楽しんでいて、心理学者の出番はほとんどなかったという。リスクのあるプロジェクトではあったが、ベルギー国民が抱えるトラウマを、過去を知らない子どもたちが演じることで、未来の方向へと変換できたのではないかと思う――といった内容のセイナーフ氏の理想的な話に、即座にはついて行けないものがあったけれど、少なくとも、現代社会を案じ、問題提起を行うアーティストとして、ミロ・ラウの着眼点と行動力の大胆さ、知的仕掛けの綿密さと冷静さ、芸術表現としての質の高さには、感服してあまりあるものがあった。

ポストトークに同席していた津田大介芸術監督が、「炎上しそうなテーマを扱っても炎上させないのがアーティスト(の腕の見せどころ)by東浩紀」と語るのを聞いて膝を打ったのもつかのま、その翌日夕方に、『表現の不自由展・その後』の展示中止が発表になった。中止になる前に同展示を見た限りでは、件の『平和の少女像』(作/キム・ソギョン キム・ウンソン)は、憎悪や悲しみなどネガティブな情動を排除することに意が注がれているのが一目瞭然で、「平和の少女像に込められた12の象徴」という説明文書まで掲示して、誤解を避ける配慮に徹している姿勢が見て取れた。これをわざわざ見に来たうえで「どう考えても日本人の心を踏みにじる」と語ったという河村名古屋市長には、どんな芸術的仕掛けも配慮も、通じることはないだろう。

津田監督が、ポストトーク時に、やはり同トリエンナーレの出展作で、交通事故で子どもを喪った両親に取材した弓指寛治『輝けるこども』をぜひ見てほしい、と言っていたので、メイン会場から少し離れた、円頓寺本町商店街にある会場も訪ねてみた。

弓指寛治『輝けるこども』会場の壁には、絵画のほか、事故で亡くなった子どもが書き残していた詩が、たぶんそのままの筆致を写す形で紹介されており、読むとその場からしばし動けなくなる。

そこには弓指の絵筆による亡くなった子どもの元気な姿と、好きだった物、楽しかった思い出が、空間いっぱいに、キラッキラにスパークする勢いで広がっていた。子ども自身と、その喪失に耐え続けなければならない人たちへの作家の想いがストレートに伝わる、輝くように明るい祈りの場。七夕まつりでにぎわう商店街の一角という場所にも、慈愛と救いを感じることができた。

『5つのやさしい小品』はすでに上演終了したけれど、あいちトリエンナーレは、まだまだ続く。『表現の不自由展・その後』の展示復活を切に祈りつつ、他の未見の展示も見たいし、いい味わいの商店街の片隅で輝く子どもたちにも、ぜひまた会いに行きたいと思う。

イベント情報
あいちトリエンナーレ2019 情の時代

AICHI TRIENNALE 2019: Taming Y/Our Passion

2019年8月1日(木)-10月14日(月・祝)
主な会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺)、豊田市(豊田市美術館および豊田市駅周辺)

休館日:月曜日(祝休日は除く)※名古屋市美術館のみ9/17も休館 
公式サイト:http://aichitriennale.jp/

作品情報
弓指寛治『輝けるこども』(S10)

会場:メゾンなごの808 愛知県名古屋市西区那古野2丁目8-11(円頓寺本町商店街内)
時間:12:00-20:00(金曜は21:00まで)
休館日:月曜(祝休日は除く) 
問い合わせ:052-971-6111
https://aichitriennale.jp/artwork/S10.html

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