May 22, 2019 regular
#07

ベルギー演劇紀行④ミロ・ラウの最新作『モスルのオレステス』

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伊達 なつめ

Natsume Date 演劇ジャーナリスト。演劇、ダンス、ミュージカル、古典芸能など、国内外のあらゆるパフォーミングアーツを取材し、『InRed』『CREA』などの一般誌や、『TJAPAN』などのwebメディアに寄稿。東京芸術劇場企画運営委員、文化庁芸術祭審査委員(2017、2018)など歴任。"The Japan Times"に英訳掲載された寄稿記事の日本語オリジナル原稿はこちら

「グローバル・リアリズムのための10項目のルール」と銘打たれた、ミロ・ラウによるNTゲントのマニフェスト 。最新作『モスルのオレステス』は、その全10項目をクリアしたシンボル的傑作でした。

『モスルのオレステス』は、約2400年前に上演されたアイスキュロスのギリシャ悲劇『オレステイア』三部作の世界を、2014年以降、過激派組織イスラム国(IS)に占拠され破壊されたアッシリア(現イラク)の古代遺跡都市モスルで再現する、ということを前提とした作品だ。(ちょうど新国立劇場で『オレステイア』が上演されるので、ストーリーについてはこちらを)

出演は、主にNTゲントの俳優たちと、モスル市民。ベルギーの俳優たちはモスルへ赴き、リサーチや稽古を重ね、映像と現地での上演に参加し、ゲント以降の公演地でも舞台に立つ。モスルの人々は、ほとんどが映像での参加だ(亡命の可能性などから渡航困難らしい。いつか彼らを招いて同じ舞台に立てる日が来ることを願うと、ミロ・ラウは語っている)。

破壊されたモスルの街でリサーチ中のアガメムノン役ヨハン・レイゼン (c)Milo Rau

劇場の舞台には、モスルの様子が投影されるスクリーンと、映像に出てくるモスルの建物に似た装置が建て込んであり、俳優たちは、アガメムノン、クリュタイメストラなど各役の人物と、俳優個人としての自分とを併行して演じる。

たとえば、イラクに出自を持つ俳優スサーナは、ある日ISの兵士に、一緒にいた友人とともに花嫁候補として品定めされ、香水を付けていた友人の方だけが連れ去られた、というエピソードを話しながら、戦利品としてアガメムノンのものになるトロイの王女カッサンドラを演じるーーといった具合いだ。

破壊されたモスルのビルで、出演者のモスルの若者たちと語り合う俳優ヨハン・レイゼン(左)とカッサンドラ役のスサーナ・アブドゥルマジド。(c)Stefan Bläske

つね日頃、ギリシャ悲劇の壮絶さ極端さには辟易しているのだが、ISにズタズタにされてきたモスルの人たちを目前にすると、それだけで問答無用の説得力が生まれる。彼らが語る話は彼ら自身のものか、他の誰かのものか等は不明なのに、脳内で速やかに事実認定がなされ、強度を持つ表現が成立して、激しく心打たれてしまう。

NTゲントのマニフェストのひとつに「原作があるものを引用する場合は、上演台本全体の20パーセント以内に留める」というのがあるけれど、その真意は、ギリシャ悲劇をリアルに感じさせるために現実を使うのではなく、いま現実に起きている問題に気づき、目を背けず直視することを促すためなら、既存の作品の普遍性を活用してもよい、ということだろう。大事なのは名作ではなく、あくまでも世界の現実のほうなのだ。

その姿勢を包括するのが、「決意表明」的迫力に満ちた、マニフェストの1項目目だ。

「もはや演劇は、世界を描くためのものではない。世界を変えていくためのものなのだ。目指すべきは現実を描くことではなく、表現自体を現実とすることである」( IT’S NOT JUST ABOUT PORTRAYING THE WORLD ANYMORE. IT’S ABOUT CHANGING IT. THE AIM IS NOT TO DEPICT THE REAL, BUT TO MAKE THE REPRESENTATION ITSELF REAL. )  

こんな拙訳ではピンとこないかもしれないけど、『モスルのオレステス』を観ると、この宣誓がなんとなく腑に落ちてくる。ミロ・ラウの知性と行動力とカリスマ性が、演劇の概念と役割を変えようとしていることに、少しくときめきを覚えてしまう。

次回は本丸アントワープへ。

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