Jan 20, 2020 regular
#38

バッハだけでなくヘンデルも聴いてみよう

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

バロック音楽というと、ほとんどの人はヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)を思い浮かべるのではないだろうか。だが、当時のヨーロッパの音楽シーンにおいて、バッハだけが唯一の太陽だったわけではない。幾つもの太陽が輝く空、それがバロック音楽の世界であった。その中でもひときわ大きく輝く太陽、それがジョージ・フレデリック・ヘンデル(1685-1759)である。

ジョージ・フレデリック・ヘンデル(青年期)

バッハとヘンデルは同じ1685年生まれで、ドイツ出身の作曲家という意味では共通だが、それ以外の点では大きく違う。

バッハはドイツの中小都市を転々とし、卓抜なオルガン演奏を根底に、高度な作曲技術を持つ、ルター派の教会音楽家として生きた「職人」肌の作曲家である。
一方ヘンデルは、大都市ロンドンを本拠とし、英国に帰化し、ヨーロッパ大陸と往復しながら、プロデューサーとして常に聴衆の動向を意識した舞台作品を世に送り出し続けた「劇場人」である。
その作曲活動の中心は、オペラとオラトリオを中心とする音楽ドラマにあった。

バッハも活動力旺盛な人物であったが、おそらくヘンデルのバイタリティはさらにそれを上回る。歌手たちとのライヴなど上演の場を切り盛りし、興行主としての嗅覚をもって、時事的・社会的な動向を反映し、大衆の好みを意識したパフォーマンスを次々と繰り広げた。言わば「マーケット」と直接生々しく格闘し、高度な芸術とわかりやすいエンターテインメントとの両立を追求した劇場型音楽家がヘンデルだったのだ。
ヘンデルの音楽が現代的だと言われるゆえんが、そこにある。

ここ20~30年のオペラ界を見ても、ヘンデルの作品のリヴァイヴァルは、ひとつの重要なムーヴメントとなっている。ヘンデルの音楽の中に、まだ知られていない美しい音楽の大鉱脈があることに、音楽家たちが気づき始めたからだ。
ヘンデルのオペラやオラトリオは、物語としての推進力、激しい感情の起伏、ドラマティックな演奏効果、スペクタクルな盛り上がりをふんだんに備えた曲が多い。その代表格が、キリストの復活をテーマにしたオラトリオ「メサイア」第2部の終わりを飾る壮大な「ハレルヤ・コーラス」だ。

ハレルヤコーラス 冒頭 自筆譜

合唱音楽の充実ぶりは、ヘンデルならではのもので、「ハレルヤ・コーラス」以外にも、さらに迫力ある見事な合唱は、他のオラトリオの中にいくらでも出てくる。合唱好きには、ヘンデルは聴きごたえ満点の作曲家なのである。

もうひとつ、ヘンデルの有名曲として挙げられるのが、オペラ「リナルド」の中のアリア「私を泣かせてください」だろう。過酷な運命や悲しみに打ちひしがれ、涙を流すというこのアリアは、近年はポップソング並みの人気を得ている。
ヘンデルは他にももっと長いアリアで、一つの感情に徹底的にのめりこみ、悲しみの底へとどこまでも沈んでいくような音楽をたくさん書いている。その感情の激しさ、深さによる一種のカタルシスも、ヘンデルの大きな特徴である。

日本でもっともヘンデルの演奏に熱心な団体のひとつが、国際的ヘンデル研究者で指揮者の三澤寿喜さんが主宰する「ヘンデル・フェスティバル・ジャパン」(設立:2002年)である。
有名なハレルヤ・コーラスを含む「メサイア」だけでなく、もっと知られるべき多くのヘンデルの劇場作品を毎年1月に、日本の古楽演奏家の精鋭を集めて、根気強く上演し続けている。
「激情人、劇場人、ヘンデル」という彼らのモットーが、この作曲家のキャラクターをよく表している。

この1月25日(土)には浜離宮朝日ホールで、ヘンデル・フェスティバル・ジャパンの第17回公演として、オラトリオ「ヨシュア」が上演される。
http://handel-f-j.org/concert_top.html

この作品が上演された1747年は、英国のジャコバイト党の反乱勃発により政情が不安で、この時期のヘンデルは「愛国的」「軍国的」色彩の強い作品を立て続けに作曲している。この「ヨシュア」も、イスラエルの民を導く指導者ヨシュアが、約束の地カナンを目指すが、そこには先住部族との戦いが待ち受けている、という物語。そこにヘンデルは、二つの奇跡の場面を盛り込んだ。「城門の崩落」と、「太陽と月の静止」である。ルーベンスの絵画のように劇的な視覚的描写を、音楽だけで雄弁に表現してみせるあたりが、ヘンデルの面目躍如たるものがある。

そして何よりも「ヨシュア」には、必ずあなたが聴いたことのある楽曲が含まれている。
それが、第3幕の凱旋の場面での「見よ、勇者は還る!(See, the conqu’ring hero comes!)」である。表彰式で必ずと言っていいほどかかるあの音楽だといえば、お分かりになるだろう。

誰にでもわかりやすい、効果的な音楽を、いかにヘンデルが書いていたか、その好例である。あまりにも出来が良かったので、気に入ったヘンデルはこの曲をのちに「ユダス・マカベウス」に転用したほどである。

さらに、この4月にはいよいよ新国立劇場がヘンデルのオペラ「ジュリオ・チェーザレ」を上演する。開場以来20年以上たって、初のバロック・オペラの本格上演をおこなうことで、新国立劇場もヨーロッパの重要な潮流をようやくキャッチアップできたということになる。
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/giuliocesare/

バロック音楽の宇宙に輝くひときわ大きな太陽であるヘンデルの存在を、ぜひとも今後も意識したいものである。

※参考
大英博物館ではヘンデルのオラトリオ《ヨシュア》全曲自筆楽譜を公開している
http://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?ref=r.m.20.e.11_f001r

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