Jan 06, 2020 regular
#36

「ポスト・クラシカル」の背景にあるもの

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

近年、クラシック音楽の世界では「ポスト・クラシカル」というジャンルの音楽が注目を集めている。ピアノやオーケストラなどのアコースティックな楽器を主に用いながらも、アンビエント風の音響操作を加えた、耽美的な雰囲気の音楽である。なぜこのような音楽が流行り出したのだろうか。それは何を意味するのだろうか。

「ポスト・クラシカル」の定義は人によってそれぞれ見方が違う。
ロックの進化系として語ろうとする人もいれば、サティやケージの音楽をルーツとみなす人もいる。ある種のヒーリング音楽という要素もある。ミニマル・ミュージックや現代音楽、さらには映画との関連も重要である。世代によっては、「これはブライアン・イーノやヴァンゲリスを、もっと今風でおしゃれにしたような感じ」と思うだろう。

クラシック音楽業界の側から言えば、ポスト・クラシカルという潮流が注目されるようになったのは、ドイツ・グラモフォン(ユニバーサルミュージック)のプロモーションの力が何といっても大きい。
ドイツ・グラモフォンといえば、かつての帝王カラヤンを中心に、ベーム、バーンスタイン、ポリーニ、アルゲリッチといったクラシック音楽の本流をなすアーティストたちを抱えてきた保守系メジャーレーベルであり、その黄色いロゴマークは、伝統と権威と信頼のブランドを意味した。
言ってみればV9時代の読売ジャイアンツのような栄光ある存在であった。
そんな彼らがここ数年、新しい時代をリードしうる斬新なクラシック音楽を発信するものとして、ポスト・クラシカルの潮流を後押しし始めたのである。

その中心的アーティストを、二人挙げておきたい。
マックス・リヒター(1966年ドイツ生まれ、英国育ち)とヨハン・ヨハンソン(1969年アイスランド生まれ、2018年に急逝)である。

専門家の間では以前から注目されていた二人だが、彼らの名前が日本のクラシック界でもある程度メジャーになったのは、いくつかのきっかけがあった。

マックス・リヒターの場合は、2016年の「ラ・フォル・ジュルネ」で、音楽祭の本場ナントでも東京でも、ヴァイオリニスト庄司紗矢香がリヒターの「四季」(原曲:ヴィヴァルディ)を見事に演奏し、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンがリヒターの音楽に対する強い支持を打ち出したことが何といっても大きかった。ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)、ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)、ラン・ラン(ピアノ)など、クラシックのコアな演奏家とのコラボレーションも目立っている。

ヨハン・ヨハンソンの場合は、オリジナル・アルバム「オルフェ」が2016年にドイツ・グラモフォンからリリースされ、翌年には国内盤も発売、坂本龍一とのコラボレーションも始まりかけて、いよいよ日本でもブレイクか、というところで、惜しくも亡くなってしまった。とりわけ、映画『ブレードランナー2049』の音楽を担当すると発表されていたのに、いつの間にか外されてしまっていたのは残念だった。

筆者がポスト・クラシカルのさまざまなアーティストたちの作品のなかで、ここ数年ほど、もっとも繰り返し熱心に聴いたものが、このヨハン・ヨハンソンの「オルフェ」であった。これは、流行り廃りとは関係なく、発売から何年たとうが聴き継がれていって欲しい、永遠の名作といえるほど重要なアルバムだ。

根底にあるのはピアノのクラシカルな響きである。そこにストリングスや弦楽四重奏、オルガン、そして最後には合唱も加わるが、随所に人の語り声のような奇妙なノイズが挿入される。
これは「数字や文字や暗号文の朗読からなる乱数放送の不思議な録音」を混入しているのだという。乱数放送とは、かつて第2次世界大戦中にBBCが敵地に向けて放送したものが最初と言われており、この暗号にジャン・コクトーがインスパイアされて詩を書いたりしている。
いまでもこうした乱数放送は、いくつかの発信源不明の諜報機関から行われているという。そんなミステリアスな現実の要素が、ここには音楽とともに同居している。

シンプルで言葉少なく、祈りの感情を秘めた、しかし決してセンチメンタルなだけでない、危険と秘密を含んだヨハン・ヨハンソンの音楽は、クラシック音楽でいうならエストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(1935-)に最も近い。特にオルガンの響きにそれを感じる。ちなみにこのアルバムで最後の合唱指揮を担当しているのは、古楽合唱における最高の解釈者ポール・ヒリヤーである。
ヨハンソン自身の解説によれば、これはオルフェオとエウリディーチェの神話の現代的再現であり、この世に対する死者の影響力についての音楽だという。

ヨハン・ヨハンソンの「オルフェ」を聴いていると――これは「ポスト・クラシカル」すべてについて言えることかもしれないが――暴力や破壊、災害や汚染がますます顕著になっていくこの世界において、かすかな希望を見出そうとするような、ようやくほっと一息つくような、そんな時間を提供してくれる音楽だという気がしてならない。

※参考リンク
ヨハン・ヨハンソン「オルフェ」
https://www.universal-music.co.jp/johann-johannsson/products/ucch-1043/

ユニバーサルミュージックによる解説ページ「これがポスト・クラシカルだ」
https://www.universal-music.co.jp/classics/this-is-post-classical/

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