Dec 16, 2019 regular
#34

チャイコフスキーの別の顔~ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ「マゼッパ」を聴いて

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

毎年クリスマスを控えた季節になると、バレエ「くるみ割り人形」が風物詩のように取り上げられる。親しみやすいロマンティックなメロディ。優雅なワルツのリズム。「悲愴」交響曲のようにシリアスで劇的な作品もあるけれど、チャイコフスキーの一般的イメージというと、やはり“甘口”という感じではないだろうか。しかし、この作曲家にはもう少し別な顔もある。それが、オペラ「マゼッパ」だった。

17世紀ウクライナを舞台とした「マゼッパ」(原作はロシアの国民的詩人プーシキンの物語詩)のユニークな点は、ふたつある。

第一に、親子ほどに離れた「年の差カップル」がテーマになっていること。
主人公は、年齢的には老人といってもいいくらいだが、まだ心身ともに壮健そのもの、頭脳も明晰で、ギラギラと現役感たっぷりの自信満々な男――ウクライナの権力者であり、コサックの首長とも呼ばれていた実在の人物イヴァン・マゼッパ(1639-1709)である。内心は孤独を抱えている彼を心から愛し、実の両親よりもマゼッパとの結婚を選ぶ純粋無垢な娘マリアとの関係が、このオペラの軸にある。

第二に、現代にも通じるロシアとウクライナの政治的緊張関係がリアルに持ち込まれていること。
ロシアのピョートル大帝と、ウクライナのマゼッパは強い信頼で結ばれているが、実はマゼッパは大変な策士で、ロシアの敵国スウェーデンとも通じており、大胆不敵な裏切りをもくろんでいる。しかし、その計略は破綻し、戦さに敗れたマゼッパは逃走。狂気に陥ったマリアの子守歌で幕を閉じる――そんなドラマティックな話である。

今回の上演は、サンクトペテルブルクの文化的象徴ともいえるマリインスキー・オペラの来日公演「チャイコフスキー・フェスティバル」の一環として演奏された(12月2日サントリーホール)。

舞台装置も演出もない、コンサート形式であったが、その演奏は最初から最後までピンと張りつめた鋼のような緊張感に貫かれ、濃厚な情感とダイナミックなうねりで、一瞬たりとも飽きさせなかった。ゲルギエフが日本に来るようになって25年以上がたつが、この「マゼッパ」は記憶に長く残る指折りの名演だった。

©N.Ikegami.jpg

歌手陣も素晴らしかった。
特に60名の合唱団は奥深いロシアの底力を感じさせる見事さで、それこそ200人分くらいの迫力はあり、群衆の場面など、大スペクタクルを感じさせてくれた。マゼッパ役のウラディーミル・スリムスキーをはじめ、威厳と人間味たっぷりの粒ぞろいのキャラクターの濃いバスやバリトン歌手たちが何人も登場し、政治的駆け引きや威嚇、さらには拷問などのシーンで凄みを発揮。これでもかと低音の魅力を堪能させた。もちろん全キャストが暗譜で、心からの共感に満ちた自然な演技も交えていたので、演劇的にも大いに満足できるものだった。

©N.Ikegami.jpg

「マゼッパ」は作曲者自身も台本作成にかかわっているが、この物語で新鮮に感じたのは、歴史の中の残酷な面を、チャイコフスキーが直視しているということだ。美しい旋律や舞踊的シーンなど、エンターテインメント性を保ちつつも、バレエ音楽や協奏曲の世界とは比較にならないほど、厳しい表情のチャイコフスキーがここにはいる。

ラストシーンでは狂気に陥ったヒロインのマリア(マリア・バヤンキナ)が、戦場で死にかけている、かつての幼ななじみのアンドレイ(エフゲニー・アキーモフ)を抱きながら、うつろで青ざめた、幻想的な子守歌を歌う――何と不思議な余韻を惹く美しさだったことだろう。壊れてしまったこの女性の心のなかに、優しさだけが残って、この不条理な世界そのものに向けて、それが歌となって響いているかのようだった。

終演後ゲルギエフの楽屋に行って、そのシーンについて「チャイコフスキーはドニゼッティやベッリーニのオペラの、“狂乱の場”から影響を受けたのでしょうか?」と尋ねると、「確かに《夢遊病の娘》には似ているかもしれないね。でも、むしろバレエ的なイメージであの子守歌をチャイコフスキーは書いたんじゃないかな」と答えてくれた。

ゲルギエフは「マゼッパ」のなかには、「チャイコフスキーの弱者への思い入れが込められているのではないか」とも話してくれた。

こうした、チャイコフスキーの中の、別な面を知ることができたのは、大きな収穫だった。よく知っているつもりの作曲家でも、こういった新しい発見ができるのも、クラシック音楽の楽しみである。

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