Dec 09, 2019 regular
#33

音楽映画としての「マチネの終わりに」

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

映画「マチネの終わりに」(出演:福山雅治、石田ゆり子、監督:西谷弘、2019年11月より公開中)は、平野啓一郎の小説を原作とした美しい恋愛ドラマであるのみならず、クラシック・ギターを主人公とした音楽映画でもある。今回は音楽を軸に、この作品の面白さについて触れてみたい。※以下の文章にはネタバレがありますので、ご注意ください。

©2019 フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク

あるシーンが思い出される。

パリでテロ事件に巻き込まれた女性ジャーナリスト小峰洋子(石田ゆり子)と、その取材仲間で、危険な目に遭い、心も身体も傷ついた女性カメラマンのジャリーラ。
彼女たちふたりの部屋を訪れたギタリスト蒔野聡史(福山雅治)は、「人を笑顔にする一番のものは何だと思う?」と尋ねながら、自慢の手料理で温かいスープを作ってあげる。
だが、ジャリーラの硬くこわばった表情は少しも変わらない。とても食べ物など口に運べる気持ちにはなれないのだ。
そこで蒔野は、「人を笑顔にする二番目のものは何だと思う?」と言って、ギターをケースから取り出し、ヴィラ=ロボスの「ブラジル民謡組曲」から「ガヴォット・ショーロ」を演奏する。

ゆったりと、歌うように、しみじみと響く優しいギターの音色。
苦しみと痛みにゆがんだ心が、少しずつほどけて、涙と一緒に、和らいでいく。
いちばん本当は欲しかったもの――穏やかな気持ちと安らかな眠り――に、音楽がいざなってくれたのだ。

大きな災害や暴力によって、恐怖に塗り込められた心。それに対して、音楽がこれほどの大きな力を発揮するものだと教えてくれる美しいシーンである。

平野啓一郎の原作小説には、このくだりは、次のように書かれている。
「快活になってゆくジャリーラの様子に、蒔野は、自分が携わってきた音楽というものの力を再認識させられた。こういう境遇でも、人は、音楽を楽しむことが出来るのだった。それは、人間に備わった、何と美しい能力だろうか。そして、ギターという楽器の良さは、まさしく、この親密さだった。こんなに近くで、こんなにやさしく歌うことが出来る。楽器自体が、自分の体温であたたまってゆく。しかしそこには、聴いている人間の温もりまで混ざりこんでいるような気がした」(「マチネの終わりに」毎日新聞出版 141~142ページより引用)

文学ならではの表現、言葉の力によって音楽の本質に迫ろうとした箇所だが、それが実際に映像化されてみると、やはり本物のギターの響きが流れてくるところは、素晴らしい効果がある。原作の良さが生かされた名シーンと言えるだろう。

この映画では、福山雅治が実際にクラシック・ギターを吹き替えなしに演奏しながら演技しているが、その困難な練習の指導はクラシック・ギタリストの福田進一が担当した。また、平野啓一郎がこの原作小説を書くことができたのも、福田進一とのやり取りが契機となったという。

©2019 フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク

そう思ってみると、「マチネの終わりに」からは、演奏家が日頃感じている等身大の思い、たとえば、より高いものを求めるがゆえの苛立ち、真の聴き手や理解者を求めてしまう孤独感、といったものが強く伝わってくる。

ギタリストである蒔野聡史と、国際ジャーナリストである小峰洋子は、過ごしている日常や生活背景からすれば、接点は何一つとしてない。
それぞれの込み入ったプライヴェートな問題があり、日々の仕事がある。通りすがりのまま終わってしまってもおかしくないくらい、本来は別々の遠い存在である。

にもかかわらず、二人は運命的に出会ってしまった。
それはなぜかというと、たとえ離れた者どうしでも、瞬時にお互いを深く理解し、共感し、響き合うような何かを見出したからだ。
その媒介に音楽体験があったことは重要である。

音楽とは、どんな立場の違いや壁をも乗り越えて、異なる者同士を、深い共感や連帯のうちに、結びつけることのできる稀有の魔法を持っている。

パリで蒔野と洋子がふたりで食事するシーンがある。
(おいしい食べ物や飲みものを分かち合う場面が、この映画には多いが、それも重要なことである。それもまた異なる人々を結びつける力を持っているからだ)
そこで、蒔野は突然、洋子に愛の告白をする。

このシーンで起きていることは、ある飛躍である。
蒔野は、無謀で滅茶苦茶な、理性を失った、突拍子もないことを言い出したのかもしれないが、この飛躍がなければ、そもそも恋愛など不可能だし、芸術も不可能である。

妥当で、計算された、安全で、適切なことの積み重ねの上に、真の恋愛が、芸術が、果たしてありうるだろうか?

蒔野にとっては、この無謀な告白は、必然でもあった。
遠い立場と暮らし、仕事や境遇の違い、分別などを飛び越えて、すでに二人の間には熱狂的な共感とハーモニーが確かに存在していたからだ。
この世界は二人の目にはどう映っているか。その世界観が、深く通じ合っていた。
音楽家にとって理想的な聴き手とは、小峰洋子のような存在である。
専門的な音楽知識や経験など、何一つとしてなくていい。
それぞれの世界で、自分のやりたいことを頑張っていて、突き詰めていさえすればいい。
その人の立場から、感覚から、直観的に、音楽を深く体験し、通じ合ってくれさえすればいいのだ。
たった一人であっても、その聴き手こそが、音楽家を救ってくれる。

「マチネの終わりに」のもうひとつのテーマは、最初に触れたような、テロや暴力や災害によって、恐怖によって人々の心が深く傷つき、大きな喪失感や怒りや悲しみにとらわれてしまったときに、いったい何が必要なのか、何ができるのか、という問いかけである。

水や食べ物や医療のようなインフラにはとても及ばないかもしれないが、人間はただ物質で、必要不必要だけで生きているのではない。感情と心で生きている存在だ。それを理解したときに、音楽のインフラとしての役割が理解されてくる。

やはりこれは、あの震災の後だからこそ、成り立ちえた小説であり、映画なのだ。

映画情報
マチネの終わりに

キャスト:福山雅治 石田ゆり子 伊勢谷友介 桜井ユキ 木南晴夏 風吹ジュン  板谷由夏 古谷一行
監督:西谷弘 
原作:平野啓一郎「マチネの終わりに」 
脚本:井上由美子
音楽:菅野祐悟 
クラシックギター監修:福田進一
製作:フジテレビジョン アミューズ 東宝 コルク
制作プロダクション:角川大映スタジオ  
配給:東宝
公式サイト:matinee-movie.jp
全国東宝系にて公開中

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