Aug 12, 2019 regular
#19

ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を聴いて

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

この夏は、何度か札幌に通って、今年第30回を迎えたPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)を取材する機会があった。ここでは、音楽祭の最後に登場したワレリー・ゲルギエフの指揮とPMFオーケストラによる、ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」について書いてみたい。

いまのクラシック音楽界において、ロシアの指揮者ワレリー・ゲルギエフ(1953-)は、最も大きな影響力をもつ一人であり、その存在自体がまるで台風のような人である。
1988年に35歳で芸術監督に就任したサンクトペテルブルクの マリインスキー劇場(当時の名称はキーロフ劇場)を飛躍的に発展させ、ローカルではなくインターナショナルなトップクラスの歌劇場へと育て上げた手腕は、奇跡的といっても過言ではない。

写真提供:PMF組織委員会

ゲルギエフの活動の特徴を端的に言うなら、巨視的・俯瞰的な把握力の強さである。
オペラとバレエとシンフォニーの3つのジャンルをバランスよく支配しうる指揮者は、ゲルギエフをおいてほかにはいない。マリインスキー劇場では、プリンシパル・ダンサーの個人的な悩み事にまできちんと耳を傾けるし、下積み中の歌手でも光る存在があれば、当日のキャスト変更をしてでも大抜擢するから、若手はみんな目の色が違う。

ゲルギエフに休みなどというものが、果たしてあるのだろうか?
そもそも指揮者という人種はいつも忙しいものだが、それにしても世界を股に掛けたゲルギエフの超ハード・スケジュールぶりは常軌を逸している。
開場時間が過ぎても観客はロビーに待機させられ、開演直前ぎりぎりまでリハーサルが続き、オーケストラは10分で着替えてすぐに本番スタート、なんていうのはゲルギエフの場合当たり前に起こりうる。

ゲルギエフの超過密なスケジュールには、周囲はいつも泣かされっぱなしである。
私なども、東京でのリハーサルの合間に取材の約束があったにもかかわらず、丸一日待たされた挙句、結局インタヴューはコンサートの休憩時間でのたったの7分ということもあった。
それでもまだいいほうで、ニューヨークまで出かけて行ってもたった3分しか時間がもらえなかったチームもあったという。

だが、不思議と腹は立たない。さんざん待たせながらも、細やかに約束は覚えていてくれるし、いったん会ってしまえば、ゲルギエフは濃密な時間を約束してくれるからだ。

PMFも同様で、音楽祭も終わり近くの7月30日の夕方近くになってようやくゲルギエフは札幌に姿を現わした。翌日は本番である。
もう少し長く札幌にいて欲しいというのがPMFとしての本音だろうが、いったん始まってしまえば、確かにゲルギエフのマジックは、オーケストラをあっという間に変えてしまうらしい。
その噂を確かめたくて、私は少し前からリハーサル会場に待機していた。
毎年メンバーがすっかり入れ替わる優秀な若者たちの集団であるPMFオーケストラと、ゲルギエフとの初対面はいったいどうなのか?

舞台袖に現れたゲルギエフは、ヴァイオリンのセクションの一番後ろの若い女性の肩にさりげなく手をおくと、指揮台にのぼり、挨拶も早々に、すぐにメイン曲目のショスタコーヴィチ「交響曲第4番」をかなり早めのテンポで、ノンストップでオケに演奏させた。

まずは若者たちの技量を見たのであろう。それと、問題なくこの交響曲を通して演奏できるレベルにまで達しているかどうかの確認(それまでの練習は、自らが送り込んでおいた若手指揮者のクリスチャン・ナップに任せてあった)。

少し長めの休憩後、コンサート1曲目のドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」のリハーサルが始まる。これは徹底的にしつこい練習だった。ほとんど1小節単位ですぐに演奏を止め、細かく表情を指示。たくさんのノー出しは、絞り上げるといってもいいくらい厳しい。

ロシアの野性、といったイメージのゲルギエフだが、こんなにもドビュッシーにうるさかったのか。弦楽セクションに対して、木管セクションと決して分離することなく、寄り添うように、両者は一体となって動いていかなければいけないことを何度も強調する。
「それが、この曲の美の哲学なんだから」。

チャイコフスキー国際コンクールの木管部門優勝者のマトヴェイ・デョーミンをソロに迎えたイベールのフルート協奏曲は、明らかにゲルギエフは初めての曲だろう。それでも全体はしっかり予習・把握していて、ソリストとの間の呼吸は息の合ったものになっていることを確認。1回通して終わり。

そしていよいよショスタコーヴィチ「交響曲第4番」の細かい表情付け。
大編成の入り組んだ大作のなかで、要所要所でここはどう演奏すべきなのかをオケに伝えていく。その的確さがさすがだった。限られた時間内でも1秒の無駄もなく、実に要領がいい。

写真提供:PMF組織委員会

よく会社などで、だらだらと会議を続けていたりする曲面がある。
くどくどと言い訳じみた、しどろもどろの報告。
パワポで立派そうに見せかけてはいるけれど、中身はからっぽの企画。
決断力が鈍く、ビジョンもリーダーシップもなく、責任逃れに終始する発言。
退屈で眠くなってくる、弛緩した時間の連続。

ゲルギエフのリハーサルで行われていることは、その正反対で、気持ちいいくらいだ。
最小限の時間で最大級の効果を生み出す集中。
段取りが明快で、無駄がない。すごい緊張感で限界まで絞りあげ、ビシビシと鞭を振るうが、決して圧迫的ではない。
ユーモアもまじえ、いいリラックスもある。
オケのコンディションにも敏感で、疲れて集中力が切れそうにならないかどうか、常に目を光らせている。迷いは1%もない。

ショスタコーヴィチのリハーサルでの、ゲルギエフの言葉を書きとってみた。

「そこは、銃で撃つように、突き刺すように、その音だけを急に強く。他は弱く」(銃で撃つポーズをしてみせる)
「アイロンをかけるように、その音はじっくり引き伸ばして」(アイロンをかける身振りをまじえ)
「(金管に向かって)それは人間の声なんだ。声のようにやってくれ」(第1楽章の悲劇的クライマックスで咆哮する場面で、自ら歌いながら)
「その二つの音は全然違う方を向いているように。南、北」(音楽が不気味に沈み込んでいく場面で、二つの音がセットで奏でられるシーンで。南、北、と別々の方向を指して見せながら)

こうしたゲルギエフの要求からわかるのは、ただフォルテ、クレッシェンド、レガート、という音楽用語で言うのではなく、実感のこもった比喩が多いということだ。
どういう音がここでは欲しいのか。そのイマジネーションが無限にある。

PMFオーケストラのメンバーたちの目が生き生きと輝いてくるのが、手に取るようにわかる。凡庸な人間が何日かかってもやり遂げられないことを、確かにゲルギエフは密度濃く短時間でやってのける。

リハーサルの時間外では、PMFオケに参加していたシカゴ交響楽団の首席ティンパニストが、ゲルギエフの楽屋に入って行って、終楽章のエンディングの部分を確認するために、ゲルギエフの指揮に合わせて、手で叩くふりをしながらのマンツーマンのリハーサルをする、といったこともおこなわれていたという。

最近のゲルギエフは、オーケストラに向かって、「そんなに大きな音を出すな」と注意する傾向が強まっているという。特にPMFのような若いオケはめいっぱい力奏したがる傾向にあるが、ゲルギエフはそれを押さえ、抑制的にすることによって、より美しく、より深いものを得ようとしている。

後日東京で、移動中のゲルギエフに少しだけ話を聞く機会があったので、ショスタコーヴィチの「交響曲第4番」について、こう質問してみた。

――マエストロ、私はこの「第4番」はショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番好きな作品のひとつなんです。もっとも実験的で、マーラーの影響が色濃く、多面的で、力強く、自由奔放に書かれていますから。でも、この曲のいくつかの場面で、特に第1楽章では、ショスタコーヴィチは明らかに激怒している。そして第3楽章の終わりは、まるで闇の中に溶けていくように謎めいて感じます。いったいどんな背景や感情が、そこには秘められているのでしょうか?

ゲルギエフ「ショスタコーヴィチがこの曲を書いていた頃には、実験的なオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が、プラウダ(ソ連共産党中央委員会機関紙)で批判されてしまい、彼は粛清の恐怖におびえていました。それだけではありません。ドイツではヒトラーのナチズムの台頭があり、ヨーロッパ全土で、芸術家の自由な表現活動が、脅かされていた。そのことに対するプロテスト(抗議)という性格が、この交響曲にはあった。つまり、政治の側からの暴力によって、人間性が喪失されてしまうことへの危機感。それが、30歳そこそこで書かれた、この魂の叫びのような音楽には、込められているのです」

そう、だからこそ、この「交響曲第4番」には数奇な運命が待っていた。
1936年12月、本番直前の総稽古リハーサルののちに、ショスタコーヴィチ自身の判断により初演は撤回され、25年間封印されてしまう。

今風の言葉でいうなら「忖度」があったのだと思う。
ショスタコーヴィチはこの曲に絶対的な自信があった。
にもかかわらず初演を撤回したのは、当局に批判されることを恐れたからに違いない。

ソ連共産党は、労働者にわかりやすく、国家の発展に寄与するような、公の秩序に沿った、希望に満ちた音楽を求めていた。前衛的でわかりにくいものは、芸術家の独りよがりだとして批判された。あれほど暴れまくる「交響曲第4番」が、支離滅裂だとして批判される可能性は十分にあった。

「交響曲第4番」のみならず、ショスタコーヴィチの多くの作品は、個人の愛や創造性と国家・社会からの束縛との葛藤の産物ともいえる。それは、未来に生きる私達への警告という性格を持っているのではないだろうか。

札幌でも東京でも、ゲルギエフ指揮PMFオーケストラの「第4番」の演奏のあとには、物音ひとつしない長い静寂が満席の会場を包みこんだ。それは、作曲者からのメッセージを聴衆がしっかりと受け止めていた証しであるかのような、感銘深い時間だった。

※国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌」の公式サイトはこちらhttps://www.pmf.or.jp/

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