Jul 29, 2019 regular
#17

史上最大の交響曲、マーラー「第8」について〜PMFでのエッシェンバッハ指揮のコンサートから

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林田 直樹

音楽ジャーナリスト・評論家。1963年埼玉県生まれ。オペラ、バレエ、古楽、現代音楽など、クラシックを軸に幅広い分野で著述。著書「ルネ・マルタン プロデュースの極意」(アルテスパブリッシング)他。インターネットラジオ「OTTAVA」「カフェフィガロ」に出演。月刊「サライ」(小学館)他に連載。「WebマガジンONTOMO」(音楽之友社)エディトリアル・アドバイザー。

オーケストラ音楽の王様といえば、やはり「交響曲」。その歴史のなかで、ひときわ大きなピークを成している作曲家が二人いる。ベートーヴェンとマーラーである。
ベートーヴェンの最大作が「第9」なら、マーラーの最大作は「第8」。どちらも合唱が大活躍するが、この二つには大きな違いがある。ベートーヴェンの「第9」が年末になれば頻繁に演奏される人気作なのに比べると、マーラーの「第8」は滅多に取り上げられない。
それもそのはず、「千人の交響曲」というニックネームがついているほど、ギネス級の超巨大編成を必要とする演奏至難な作品なのだ。「マーラーが好き」というクラシック・ファンでも、この曲だけは近寄りがたいという人は多い。
ここではあえて、その「第8」について書いてみたい。

今年第30回を迎えたPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)で、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、特別編成のPMFオーケストラとPMFプレミアム合唱団ほかの演奏で、マーラーの「交響曲第8番」が取り上げられた(札幌コンサートホールKitara、7月20、21日)。
私はその2日目に行った。

クリストフ・エッシェンバッハ(1940年生まれ)はドイツのピアニスト・指揮者。バーンスタインの死後、PMFを支え続けた音楽家の一人。第30回PMFを記念して、マーラーの「第8」を指揮した。2019年7月21日札幌コンサートホールKitaraにて 写真提供:PMF組織委員会

尋常ではない規模の合唱団員が、オーケストラの向こうと両サイドの客席にまで広がって陣取る。「千人」までは行かないにしても、オーケストラを含めて600~700人はいただろう。壮観である。

札幌コンサートホールKitaraの約3割ほどが合唱団で埋め尽くされた。こうした大人数の音楽家たちが精緻なアンサンブルを繰り広げ、壮麗な音響世界を作り出すのも、クラシック音楽ならではの醍醐味といえる。 2019年7月21日札幌コンサートホールKitaraにて 写真提供:PMF組織委員会

この曲は、通常の交響曲と大きく異なり、3楽章でも4楽章でもなく、2部構成の形をとる。また、ほとんど最初から最後までソロ歌手と合唱が活躍する。
聖霊の降臨を力強く呼び掛ける第1部は、まるでミサ曲の輝かしい一部分。
ゲーテの「ファウスト」の最終場面を台本とした長大な第2部は、オペラかオラトリオのよう。

そもそも、なぜマーラーは、これほど極限的な、とんでもなく肥大化した交響曲を書いたのだろう?

野心?名誉欲?自己満足?
もちろんそういうこともあったかもしれないが、マーラーという音楽家の誠実さを信じるならば、この膨大さは、やはり芸術的な意味での必然であったと考えるべきだろう。

ある合唱団員から、この曲の演奏に参加した思い出を聞いたとき、こんなことを言っていた。
「正直言って、自分ひとりいてもいなくても、変わらないんじゃないかと…思いました」

今回のPMFでのエッシェンバッハ指揮のコンサートで特に印象的だったのは、精緻な弱音、そして節度ある響きのバランスである。
耳をつんざくような混濁した大音響、圧力的でつぶれた汚い音、そういうものは皆無。
ハープ、チェレスタ、トライアングル、シンバル、マンドリン、ハルモニウム(小さな足踏みオルガン)、そしてさざ波のような弦の揺らぎ。それらが繊細に使われることで、何と効果的な魔法を発揮していたことだろう。
とりわけ第2部は、「千人の交響曲」というニックネーム(そもそもマーラーの意図した呼称ではない)とは正反対の、甘い、秘めやかな、柔らかい音楽に満ちていた。

あの大合唱は、どんなに盛り上がる場面であっても叫びすぎることなく、乱れもせず、まろやかな美感を保っていた。
数百人が同時に小さな言葉として発するささやきの音楽が、どれほどすごい効果を生むか、想像できるだろうか。

それをマーラーが交響曲と呼んだことは興味深い。
マーラーにおいては、交響曲とはオーケストラ音楽の伝統的な一形式というだけではない。ある「全体」を体験すること、それこそが交響曲の定義なのだ。

マーラーは「第8」によって、聴き手をはるか高みへと連れて行ってくれる。
あまりにも壮麗で、「私」などというものは、「しがらみ」だの「苦しみ」だのというものは、すべて空しく砕け散ってしまう――。
この曲は、そんな輝かしい体験のための装置なのだ。
あの大人数は、そのために、ある。

全曲を締めくくる第2部の最後には、美しい仕掛けが用意されていた。
ステージに向かって客席の左側の2階やや後方に、栄光の聖母(安井陽子)が現れ、晴れやかな歌声をホール全体に響かせる。
続く最後のクライマックスでは、客席2階の一番後ろに陣取っていた金管楽器群が、第1部冒頭で呼び掛けられていた「来たれ、聖霊」の動機を、これ以上ない輝かしさでホール全体に向けて鳴らしたのだ。

第2部の終わり近く「栄光の聖母」(安井陽子、ソプラノ)が2階客席上方から、輝かしい声を響かせた。声楽付きの大規模なコンサートでは、劇的効果を得るために、このように客席も演奏エリアとして使われることがしばしばある。プロの生の声が思わぬ近さで聴けるサプライズはうれしい。 2019年7月21日札幌コンサートホールKitaraにて 写真提供:PMF組織委員会

そのとき私は、あたかも突然自分の心の中から、まばゆい光の筋が前方の世界に向けて放射されているように感じた(実際は背中から金管の強烈な響きを浴びせかけられていただけなのだが)。
「この壮大な音楽は、本来あなたの心の中に住んでいるものなのだ」と、エッシェンバッハは教えてくれているようにさえ感じた。

マーラーは、「第8」以外の多くの交響曲で、死のしるしを刻印した音楽を書いている。だがこの光の中に溶けて行くような音楽は、それらとはコインの表と裏の関係にある。
PMFでのコンサートは、それを改めて感じさせてくれるものだった。

※2019年7月21日、札幌コンサートホールKitara所見

※今回のマーラー「交響曲第8番」の演奏は、PMF公式サイトにてオンデマンド配信可能になる予定。https://www.pmf.or.jp/jp/gallery/on_demand.html

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