Feb 19, 2018

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小山田圭吾も参加の『谷川俊太郎展』が示唆するものとは?

詩人・谷川俊太郎の詩情に五感で触れられる展覧会『谷川俊太郎展』が静かな人気を呼んでいる。谷川の詩『自己紹介』に小山田圭吾(コーネリアス)の音楽と中村勇吾による映像がコラボレーションしたインスタレーション作品のほか、これまでの作品はもちろん、書き下ろしの新作、そして谷川のプライベート写真や書簡も展示されている。会期中に谷川俊太郎と小山田圭吾の対談イベントにも参加したライター相田冬二が展覧会の魅力を解説する。

『谷川俊太郎展』が東京オペラシティアートギャラリーでおこなわれている。これが実に風通しのよい展示で素晴らしい。

キャリアの長い作家の個展ともなれば、それはとかく回顧になりがちだ。偉業を讃え、歴史を俯瞰する。だが、積み重なった年月を踏襲するように「堆積」を誇示したところで、作家の本質には近づけない。ただ、退屈で窮屈なだけである。

美術館ではなく、大きめのギャラリーだったことが幸いしているのかもしれない。あるいは、展示の対象が美術家の美術ではなく、詩人の詩であることも功を奏している。だが、それよりも。谷川俊太郎という人格とパーソナリティにできるだけ寄り添おうとした試みの結果、この風通しは生まれている。

『谷川俊太郎展』は過去ではなく、作家の現在を見つめている。だから、退屈さも窮屈さも感じない。作家を崇め祀って過去の遺物化しない。彼が、いや、ひとりの人間が、今日といういまを呼吸していることに向き合おうとしているから、風が吹いている。

 

▼Gallery2 谷川の詩「自己紹介」(2007)の20行を柱にし、テーマを設け幅広い仕事や暮らしにまつわるものを展示

 

回顧展ではなく谷川俊太郎の
“いま”と詩情を見事に展示

 

展示については後述するが、まず2月10日におこなわれた小山田圭吾(コーネリアス)との開催記念対談を振り返ってみたい。谷川俊太郎という存在が感じさせる風は、つまりこういうこと、だから。

可笑しかったのが、今回の展示について訊ねた司会の安パイな仕切りをやんわり無視して、谷川が小山田に「なぜ、コーネリアスなの?」と問いかけて対談が始まったこと。言うまでもなくコーネリアスとは映画『猿の惑星』に登場するキャラクター名だが、その話がさして深まることもないまま、ふたりは雑談へと興じていく。

わたしもインタビュアーの端くれなのでよくわかるが、質問というものはどうしても「このように答えてほしい」という要望をはらむことになる。もっと言えば、質問がある種の答えを強要することにもつながる。これが谷川にはない。「あ、そ」というスタンスがくずれない。余計な深追いはしないのだ。また小山田も無理に答えようとはしない。端的に、さらっと返答する。「ま、そんなところです」というノリがじんわり継続する。だから、ふたりのあいだには、ふたりだけのグルーヴが存在している。

話題が子供のころの音楽とのかかわりに移ってからも両者のスタンスは変わらない。それがいまにつながっている……というような紋切り型の帰結を、小山田はするりとかわす。また、谷川も一切、誘導はしない。好奇心がおもむくままに尋ね、答える側も話したいことだけを話す。表現者の大命題とやらをまったく目指さない「ただの会話」が、無為な陽だまりを醸成していく。

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