Sep 14, 2016

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【世田谷声優フェス2016イベントレポート①】アニメ一筋50年!! スタジオぴえろ特別顧問「布川ゆうじ NUNOANI塾 ものづくり学校特別講義」

【世田谷声優フェス2016イベントレポート①】
アニメ一筋50年!! スタジオぴえろ特別顧問「布川ゆうじ NUNOANI塾 ものづくり学校特別講義」

 

去る8月27日(土)にIID世田谷ものづくり学校にて開催された「世田谷声優フェス2016」。ここでは、そこで行なわれたイベントの中から、スタジオぴえろ特別顧問・布川ゆうじさんが教壇に立って行なわれた「布川ゆうじ NUNOANI塾 ものづくり学校特別講義」の授業内容をお届けします。


 

アニメーターからプロデューサー、そして先生へ

フリーアニメーターを経て、タツノコプロで演出家デビュー、その後、1979年にスタジオぴえろを立ち上げ、現在は最高顧問として後進の指導に当たっている布川ゆうじさん。80年代以降のアニメ業界を支えてきた功労者の1人と言えるでしょう。そんな布川さんが50年にも及んだアニメ作りの楽しさ、難しさを語るということで、会場はあっという間に満席に。

教室の後ろにずらっと立ち見が並ぶ様子はまるで授業参観ですね。

 

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まず自己紹介としてこれまでの経歴を語る布川さん。この50年、特にぴえろを立ち上げてからの40年には苦労も多かったそうです。「ぴえろはあと数日で潰れるなんて言われたこともありました。でも、気がつけば、今、中学校の教室で講演させていただくほどに。これが刑務所じゃなくて良かった(笑)」

プロデューサーとして働いていく中、若き日の布川さん(独立した時点でもなんと30歳!)が考え続けてきたのが、大勢の“職人”たちに良い仕事をしてもらうためにはどうすればいいのか、でした。

「アニメ業界人は、気むずかしい人がとても多いんです。少しの行き違いですぐにへそを曲げられてしまう。『もう、二度とお前のところと仕事をしない!』って怒鳴られたことも一度や二度ではないんですよ。もっとも、ほとんどの人は次の日にはわすれてしまっているんですが(笑)」

この際、役に立ったのがプロデューサーになる前に、アニメーターとして最前線で働いていたこと。某刑事ドラマ風に言えば「現場」のことも、「会議室」のことも、両方分かる存在であったことが、スタジオぴえろ大躍進の理由の1つと言えるのでしょうね。

そして今、布川さんは現場を離れ、後進を育成する立場にシフトしています。4年前から「NUNOANI塾」を立ち上げ、月に2回、アニメのプロデューサーやディレクターになるために必要な「企画の読解力」を高める講座を開催中。アニメのプロデューサーやディレクターになりたい人に、布川さんが50年かけて培ってきた知識とノウハウを伝えようとしています。「今の塾生は皆、社会人。業界の内外で働きながら、自分のスキルを高めていきたいという人が集まっています。中にはファンドで働いているという人もいるんですよ」

 

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「この商売、現場で長く働いていると、スケジュールに追われ、仕事に追われ、どんどん煮詰まってきます。そうするといつか、アニメがつまらなくなってしまう。辛すぎて、アニメは“やる”より“見る”ものだと思うようになってしまうんです。でも、僕はせっかく大好きなアニメ業界に入ってこられたのだから、最後までアニメが好きでいてもらいたい。そのためには“ファン”のままじゃ無くて、“プロ”としてやっていくんだという自覚が必要。NUNOANI塾をスタジオぴえろという現場からちょっと距離をおいたところでやっているのも、そのためなんですよ」

 

“情熱”が支えてきた日本のアニメの50年

1963年のテレビアニメ『鉄腕アトム』放送開始以降、50年に渡り、人気サブカルチャーの1つであり続けてきたアニメですが、ここに来て、いよいよ大きな変革の波にさらされ始めました。布川さんにしてみても、今のアニメは、深夜アニメの台頭など、かつて自分が最前線で働いていたころとは大きく様変わりしていると感じるそうです。

「ただ、それによって日本のアニメならではの美点が失われてしまったかというと決してそんなことはありません。その美点とは、ずばり多様性。日本のアニメは本数はもちろん、扱うテーマがとても幅広いんです。これは海外にはほとんどみられない特性。その背景には、原作供給源として切っても切り離せない関係にあるマンガ文化の多様性があります。マンガ週刊誌が毎週何百万部も刷られる国なんて他にはありませんから。毎週、毎週、新しいストーリーやキャラクターが生まれてくる。作るべき作品に事欠かないというのは本当にすごいことなんですよ」

また、その上で、インターネットの発達などによって作品の配信手段がテレビだけでなくなったことにも注目しているそうです。

「1990年にWOWOWが始まり、最近はNetflixやHuluのようなビデオ・オン・デマンドサービスも好調です。実はWOWOWが始まった頃(90年代)は、毎月数千円も払ってテレビを見るようなサービスがどれだけ定着するか疑問に思っていました。しかし、蓋を開けてみると、今では彼らが独自に番組を作るまでに。最近ではむしろ無料の地上波テレビの方がスポンサーが付かず苦戦しているほどです」

こうしてアニメを取り巻く環境が大きく変わっていく中、それでもなお、アニメが独自の世界観を保てているのは、「ドラマなどと異なり、アニメの制作部門を持ったテレビ局がどこにも存在しないから」とのこと。アニメを放送したいテレビ局や配信サービスは、スタジオぴえろなどのアニメ制作会社に依頼するしかないのです。そして、その独立性が、日本のアニメの個性を守ってきたということですね。

もちろん、そんな日本のアニメは、海外でも大人気。布川さん曰く、世界で日本のアニメをテーマにしたイベントが年間2000~3000件(!)も行なわれているんだとか。

「以前、イベントに招かれてスペインに行ったら、会場に向かう途中ですごい行列に出くわしたんです。これは何の行列ですかと尋ねたら、なんとそのイベントの入場列だと言うんですね。入口まで何百メートルもあるのに……現地のファンの熱意に圧倒されました。また、最近、留学生と話していると、日本語を学んだ第1の理由がアニメのセリフを理解したいからという人がすごく多いんです。最近は声優を主役にしたイベントも行なわれるようになっているんですよ」

かつて、海外では日本のアニメのことを「Japanimation(ジャパニメーション)」と呼んでいました。しかし、現在ではそれを「Anime(アニメ)」と呼ぶ人が増えているそうです。海外のアニメのことは「Animation(アニメーション)」あるいは「Cartoon(カートゥーン)」と呼び、明確に分けて語られるのだとか。

 

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「低予算での大量生産を実現するため、国産アニメは動きのコマ数を減らすなど、厳しい人には粗悪品と誹られるようなこともやっています。ただ、現場のスタッフはそれを感じさせないよう、技術とノウハウを積み上げてきました。アニメはただ動けば良いというものではないんです。そして、そこに声優さんが命を吹き込み、素晴らしい作品が誕生する。まさにこれこそが日本のアニメ制作。私はそこに人生を燃焼させると言うことをずっとやってきました」

多くのアニメファンが聞き惚れるスペシャルレッスン。わずか30分という短時間ではありましたが、日本のアニメの50年間、そこに費やされてきた情熱がひしひしと伝わってくる内容でした!

文 /山下達也  撮影 /江藤海彦

 

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