Feb 08, 2019

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何に「負けない」と戦ってきたのか?『プリキュア』の通底するテーマに大人が教えられること。

「大人向けすぎる」「子供にわかるのか」というのは、それは大人が勝手に思い描いた“子供の理解力”でしかない。『どれみ』が描いていたように、子供たちには子供たちの社会の中での時代性や見えない束縛、その中で希求している自由がある。大人の理解力で「わかるのか」としてしまうことはあまりにも乱暴だ。それは、子供が感じているが正体がわからずにいることに対し、大人の側が目を背けることと同じになる。『はぐプリ』は子供たちにはエールと勇気を送り、子供たちの疑問や不安に気づけなかった大人にも叫んで気づかせた。

だが、そのことに少なからず別のショックも感じてしまった。それがすでに今の社会や時代の中で子供たちが心のどこかで感じている問題や課題であるなら、『プリキュア』に叫ばれるまでそれに気づけなかった僕ら“自称・大人”は何なのだろう。自分たちの鈍感さがイヤになる。もしかすると大人に『はぐプリ』がセンセーショナルに受け止められたのには、子供社会がすでにそういうことに直面していること、自分たち大人がそれに気づいていなかったことを突きつけられたからだった、というのも理由であったのかもしれない。

「子供向けのアニメでしょ」と言われてしまいがちなこういう番組にこそ、大人向けと称している番組以上に大事なことが反映されていることもあると僕は思っている。僕がこういうアニメを見続ける理由の1つだ。
『プリキュア』をはじめとした、視聴者に真剣に向き合った作品を見て育っていく子供たちの中に築かれる価値観や概念は、僕ら古い世代とは異なっていくのだろう。そしてすでに初代『プリキュア』を見ていた子供たちは成人となってきている。
それを考えたとき、いまだに「お姫様には王子様が必要なはずだ」とばかりのTVドラマなどを見かけると、こういう作品をまだ作っていて大丈夫なんだろうかと思ってしまう。多くの大人が子供向けだと思っている作品はすでに“その先”に行ってしまっているのだ。もちろん面白い作品もあるのは確かだが、流行に目が向いていることと、時代性や社会性に目が向いていることは全く違う。『プリキュア』を見てきた子供たちが成長したとき、そういった意識のドラマをどう見るのだろうか。

こう書いているうちに、16年目となる新作『スター☆トゥインクルプリキュア』も放送が始まった。もしこのシリーズがいずれ20周年を迎えることになるのであれば、その時に描かれているテーマはさらに踏み込んだものとなっているのかもしれない。その時にプリキュアは何に対し「私たちは絶対負けない!」と立ち向かっているのだろう。その“敵”こそが社会と時代に潜在する問題であり課題のはずだ。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)

 

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