Sep 17, 2019 mekiki

作曲家・藤倉大の音楽性〜彼はどういう道を歩んできたか

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日本の若い素晴らしい作曲家はたくさんいる。だがこのところ、藤倉大への注目度は別格である。
なぜ、現代音楽界最大のヒーローであるピエール・ブーレーズに日本人としてはほとんど唯一認められ、なぜ元ジャパンの耽美派ロック・ミュージシャン、デヴィッド・シルヴィアンと仕事をし、なぜザルツブルク音楽祭、BBCプロムス、シカゴ響などから作品を委嘱され、なぜピアノ界の女王マルタ・アルゲリッチのためのピアノ協奏曲を書くという大きなチャンスをゲットし、なぜ話題の新作映画『蜜蜂と遠雷』に曲を書くよう頼まれるのだろうか。
既存の枠組を軽々と打破し、縦横無尽に活躍する作曲家・藤倉大の音楽性の根底にあるものは何なのか。9月28日におこなわれる「ボンクリ・フェス」を前に、去る7月1日、雨上がりの東京藝術大学のキャンパス内の一室をお借りして、話をうかがった。

「作曲を始めたのは、9歳か10歳くらいかな。遊びがてら。ピアノの先生がちゃんとした厳しい、いい先生で。最初は古典的なハイドンとかベートーヴェンとかを習わされるじゃないですか。それを、僕は勝手に曲を変えたりしていたんです。つまらないと思ったところを飛ばしたりして。そうすると当然怒られる。
それで考えたのは、書かれている楽譜と弾いている音が違うから怒られるんだったら、楽譜を変えればいい。それが作曲になった。自分の曲を書けば怒られないですから。
それって僕によくある発想で、生活でもそうです。一緒に住んでいたら大変だと思うけれど。これがルールです、と言われると、じゃあルールを変えたらいいじゃん、といつも思う。そっちを変えろよ、と。
合唱曲でも、歌詞に音符を付けて行くじゃないですか、普通は。それをやるのが嫌なときは、言葉を変えて欲しい、と。オペラでも、考えていたシーンが思っていた通りに終わらなかったことがあって、次のシーンをもうひとつのシーンと入れ替えてもらった。きわめて自由」

学生の頃は1年30曲以上を書いたこともあるという藤倉さんは、大変な多作家でもある。

「とにかく曲が子供のときからすごく多くて。書きたい。書きたくてしょうがない。トリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックのときについたダリル・ランズウィック先生(1946年生まれ、英国の音楽家・プロデューサー)に、『実際に曲を書いても、誰が演奏してくれるんですか?』、と言ったんです。そしたら『そんなのは、あの校舎に一体何人ミュージシャンがいると思っているんだ。ビールをおごるなり、コーヒーをおごるなりして、自分でゲットしてこい』と。『何でそんなことをこっちがやってやんなきゃいけないんだ? 自分で全部やれ』と。
当時、作曲のコースの人には、自作を演奏してもらう機会は、何も用意されていなかった。だから僕以外の人はあまり演奏されていないでしょうね。でも僕は図書館とかで『ねえねえねえねえ』と、話術というか、話して話して…。
あの経験はすごくためになっています。当時同じ大学でチェロをやっていた妻が僕の曲を弾き始めたときも、彼女の先生が『ショスタコーヴィチ以降の音楽は認めない』みたいな人だった。でもその人に説得しに行って、すごく仲良くなった。話せば、みんな変わるんです」

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