Mar 11, 2017

インタビュー520

緊急対談:SMAPとは何だったのか?最終回「なぜSMAPは四半世紀も活躍する長寿アイドルになったのか?」

“人間関係”も“会社”も、スタートより、終わらせる方がずっと難しい。デビュー25周年の昨年大晦日、遂に解散したSMAPから、私たちは何を受け止めたらいいのだろうか。

これまでSMAPメンバー出演の映画の撮影現場で密着取材し、3年半に渡ってSMAPのオフィシャルコラム『Map of Smap』でライターを務めた相田冬二、そしてカルチャーとしてのSMAP特集をいち早く組んで話題を呼んだ雑誌『Invitation』の元編集長・小林淳一のふたりが、SMAPが出演してきたドラマや映画を中心に、数回にわたって批評、考察していく連載『「SMAP」とは何だったのか』。

これまでSMAPメンバーの功績を語ってきたふたりが、最終回として「SMAPとは何だったのか?」をテーマに2回に分けて考察していきます。

前編は、昭和に生まれたSMAPが平成という時代の転換期を越えて、<なぜ四半世紀も活躍する長寿アイドルになったのか?>についてです。

 

最終回<前編>:「なぜSMAPは四半世紀も活躍する長寿アイドルになったのか」~昭和63年に誕生、オウムと震災を越えて、トランプ政権誕生の年に解散するまで~

相田冬二(SMAPオフィシャルコラム『Map of Smap』ライター)× 小林淳一(元Invitation編集長)

 

なかなか“懐メロ”にならない
『世界に一つだけの花』

 

相田冬二(以下、相田) 前回、「木村拓哉が20年に渡って、20本ものテレビドラマで主演をやってきたのは、日本の芸能史でも初めてじゃないか」という話になったけど、やっぱり、SMAPって長いよね。こんなに第一線で活躍したグループってほかにいないんじゃないか。

小林淳一(以下、小林) 異例ですよね。これには、ふたつの背景があると思います。ひとつは、昔と比べて人がなかなか老けなくなってきたこと。もうひとつは、以前、つんく ♂ に取材したときに彼が言っていたことだけど「流行のスピードが昔より落ちてきた」ことがあるのではないかと。最近では数年連続で紅白に出るヒット曲って多いですよね。カラオケに行くと昨年と今年のヒット曲もかなりかぶってます。ゴールデンボンバーは『女々しくて』で4回も紅白に出たわけだし、『残酷な天使のテーゼ』は年間ランキングの上位に毎年入っている。1970~90年代にそんなことはありえなかったわけですよ。おそらくネットの時代になって、市場が細分化してマニアックになると、年齢層やジャンルを越えてみんなで共有できるコンテンツが少なくなってきたので、一度当たったものが強いんだと思うんです。そういう時代の始まりと共にSMAPは生きてきたという印象があります。

相田 『世界に一つだけの花』も長いよね。懐メロにならない。曲がずっと生き続けてる。

小林 少年隊も男闘呼組もヒットチャート的にはそんなに長くは持たなかった。でもSMAPだけは残った。それが奇跡だったわけだけど、SMAP以降は解散すらできなくなる状態がある。これがジャニーズのパラドックスだと思っています。結局お互いに市場を食い合ってしまっている状態だから。テレビもいい番組は、かつてはだいたい7年くらいでバラエティはその寿命を終えてきました。だから、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系、以下、スマスマ)が20年続いたってかなり凄まじいことですよね。
 スマスマがはじまる前、1994年までは猛スピードでカルチャーが進んでいた時代だと思う。1994年はそういう意味では象徴的な年で。松本人志が著書『遺書』を出し、ニルヴァーナのカート・コヴァーンが自殺して、小沢健二とスチャダラパーが『今夜はブギーバック』を出した。カルチャー的には「最後の“とんがった”一年」だったと思う。おそらく1979年にYMOが「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を出してから始まったであろうポップでクールなカルチャーが1994年で終わったように思えます。
 スマスマは、その後、あの1995年を経て、1996年に始まったということで、すでに時代の役割を果たしはじめていたんだと思います。

相田 槇原敬之が手がけたアルバム曲「世界に一つだけの花」(2002年8月リリースのアルバム『SMAP 015/Drink! Smap!』に収録された後、2003年3月にシングルとしてリリース)は、作品の力に加えて、その後さまざまなめぐり合わせによって、SMAPの代表曲になっていく。まずは、SMAPがその地位を確定した1996年から振り返る必要があるね。