Aug 18, 2016

コラム

テレビアニメ『うる星やつら』とアニメ放送前のラジオドラマ『うる星やつら』のつながり

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 実はぼくは、彼女のことを「アニメ声優」だとは思っていない。だって、声優になる前からパーソナリティーやタレントとして活躍しているのを、見聞きしていたからだ。なんとなく、ぼくより年上だと思っていた。同い年だと知ったのは、初めて彼女の番組を担当した時だ。
 1983年。ニッポン放送の「だんぜん アニメNo1」という番組。彼女はパーソナリティー、ぼくはその作家だった。なぜアニメのラジオ番組かというと、この時彼女は人気アニメ声優となっていたからだ。二年前の1981年に始まったアニメ「うる星やつら」の「ラムちゃん」こと、平野文さんだ。
 その平野さんが若手声優の松野達也さんと一緒に、ゲスト声優を迎えたりする番組だった…と思うが、内容はまるで憶えていない。しかし一度、曲紹介したあと、彼女がスタッフにポツリと言った言葉が、印象に残った。
「イントロ紹介して、ちょうどいいタイミングで歌が始まる、あの微妙な間が好きなの」
 ぼくは、(ああ、この方は声優である前に、まずDJなんだな)と思った。

 このアニメが始まるさらに一年前の1980年。同じくニッポン放送で「ラジオまんぱく(※まんぱくは、漫画博覧会の略)」という番組があって、ぼくも作家の一人として担当した。まだ駆け出し一年目だ。
 この番組のパーソナリティーが「スラップスティック」という声優バンド。メンバーは、野島昭生、曽我部和行、古川登志夫、古谷徹、三ツ矢雄二。ぼくは、当時ラジオ界きってのプロデューサー・ドン上野の命で、スラップのステージ構成台本も書いていた(一年目の若造に、よくぞまかせてくれたものだ)。
「ラジオまんぱく」は30分番組。その半分を使って毎週、まだアニメ化されていない漫画を片っ端からラジオドラマにした。むろん出版社に断ってだ。番組スタート前、ドン上野に連れられて、少年ジャンプ、少年マガジン、少年サンデー、少年チャンピオンの各編集部を回ってあいさつに行った。
 当時は鷹揚なもので、編集長は、
「ああ、いいですよ。面白いと思った作品はどんどんドラマにしてください」
 と歓迎してくれた。

 さっそくぼくたち作家は、ドン上野に言った。
「いま面白いのは、なんといってもサンデーの『うる星やつら』ですよ」
 ドン上野は当時ラジオ界きってのアニメ通・マンガ通だったが、知らなかった。定期連載スタートの年だから、しかたない。だが、「キミたちが面白いと思うものは面白いんだから、それをやろう」と答えた。ドン上野のこの姿勢は、終始一貫していた。
 さて、うる星やつらをラジオドラマにするとはいえ、キャストはレギュラーのスラップスティックの中から選ぶわけだ。
「野島さんは違うし、古谷さんでもないし…古川さんしかいないな」
 とぼくは考え、諸星あたるの声を古川さんにやってもらい、脚本を書いた。これが、《あたる=古川》が生まれた最初だ(消去法だったけどね)。ちなみに、ヒロインは毎回助っ人女性声優にお願いしていたので、この時が誰だったかは憶えていない(もちろん、平野文さんではない)。

 この一年後、テレビアニメの「うる星やつら」が始まり、古川さんが諸星あたる役を務めることになる。ぼくは勝手に(あのラジオドラマがなんらかの参考にされたに違いない)と思うことにした。
 ずっとのち、古川さんに会うとよくこの時の話をするのだが、ご本人はまったく覚えていない。売れっ子で忙しい時だったから、まあ、それはそうだろう。

 それから、話は一気に三十年飛ぶ。
 古川登志夫・平野文さんの「あたる&ラム」コンビと、一緒に食事をした。その時、雑談の中から出た話がある。

 

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藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
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