Nov 02, 2017

コラム

『オードリーのオールナイトニッポン』から生まれた「リトルトゥース」とは?

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 最近、ぼくが本を出した時、ありがたいことに取材をしていただく。あるいは、無駄に長く放送作家をやってきたので、ラジオの深夜放送に関して話を聞きたいという取材話が舞い込むこともある。どちらの場合も、取材者のライターさんは第一声にこういうことが多い。
「実は、リトルトゥースなんです」

 いまこれを読んでいる方のほとんどは、「なんのこっちゃ?」だろう。これには少し説明がいる。

 現在ぼくは、オードリーのオールナイトニッポンを担当している。今年、9年目に入った。始めた時は、正直いって、こんなに長く続くとは思わなかった。オードリーがずっと売れ続けているおかげだ。
 この番組の中で、時々、藤井青銅の名前が出る。もっとも、それはぼくだけじゃない。ラジオの深夜放送というのは昔から、スタッフも第二の出演者みたいなもので、ディレクター、放送作家、AD、ミキサー、はてはアルバイトの学生の名前まで登場する。

 これはなにも、ラジオのスタッフは「出たがり」…というわけではない。
 ラジオ番組は多くのリスナーからの投稿で成り立っている。ハガキ職人(メールの時代も、なぜかこう呼ぶ)たちだ。なのでひんぱんに、色々なラジオネーム(ペンネーム)が読み上げられる。常連は毎週のように名前が読まれ、お馴染みになる。彼らもまた、第二、第三の出演者でありスタッフみたいなものだ。そして、いちおう言っておくが、みんな素人さんなのだ。
 そんなわけだから、ラジオはタレント以外の名前を出すことにハードルが低い。長年に渡ってそういう文化風土が培われてきた。それでぼくの名前が何度も出てくるし、リスナーの中にはそれを記憶に留めている方もいる。

 あれは、何年目だったろうか? レディー・ガガが、自分のファンのことを「リトルモンスター」と呼んだ頃だ(2013年頃かな?)。若林さんがそれにあやかり、番組リスナーのことを、「リトルトゥース」と呼んだ。説明するのも野暮だが、春日さんの「トゥース!」に対する「リトルトゥース」だ。
 最初は単なるシャレだったのだが、いつの間にか、なんだか番組内での正式な呼び名みたいになってしまった。

 つまり、冒頭のぼくへの「実は、リトルトゥースなんです」という第一声は、「藤井さんの仕事は知ってます。オードリーのオールナイトニッポンも聞いたことありますよ」という意味の、あいさつなのだ。ぼくはちょっと驚くけど、
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」
 とお礼を返す。まあ、当然だ。

 ところがこれ、当のオードリーの場合は、ちょっと言われ方が違うという。 彼らがファンに遭遇した時、
「いつも、○○のテレビ見てます!」
 と声をかけてくる人は多い。そんな中に混ざって少数ながら、
「リトルトゥースです」
 と言うファンがいるという。ありがたいことだ。だが、なぜかきまって遠慮がちに、小声でコソッと言うらしい。なにか秘密組織のエージェント同士のように。あるいは、非合法で人目をはばかる趣味の同好の士のように。もしくは、同じ病気にかかった者同士の告白のように。

「ああ、やっぱり」
 とぼくは思った。実は、これとほぼ同じ話を、ぼくは二十数年前に聞いていたのだ。ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポンを担当していた時だ。

 

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藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
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