Oct 10, 2017

コラム

一次審査を任せられた、80年代のある声優コンテストの話

→前回までのコラムはこちら

「第二回アマチュア声優コンテスト」(1980年)の最終審査に残った方たちは、みんな個性的ないい声で、演技力もあったのだ。
「ぼくたち一次審査員があんなに手早く、どんどん選別していっても、最後にはちゃんと才能ある人が残るものなんだなあ…」
 と感心したのを憶えている。
 この第二回からは、速水奨さんがプロの声優になっている。

 そして翌年(1981年)、「第三回アマチュア声優大会」でも、ぼくは一次審査を手伝った。そしてこの年は「東日本予選大会」で、壇上での審査員もつとめた。その時のステージ台本が手元に残っている。
 いま見ると、なかなか面白い。

「1981年10月10日、場所は青山タワーホール」
「応募総数28,034通」
「第一次審査で500本を選出」
「第二次審査で100本を選出」
「この東日本予選大会には、43名が参加」
「大阪で行われる西日本予選大会には、20名が参加」
「東西の予選大会で選ばれた人たちが、九段会館で行われる全国決勝大会に出場」
「グランプリ獲得者は、アニメ映画『新竹取物語・1000年女王』に出演できる」
 …と、なにやら大層なことになっている。そうか、このアニメのプロモーションとしての企画でもあったのか。
 この東日本予選大会審査員は、
「ゲスト審査員…声優/戸田恵子、野島昭生、田の中勇」
「夜ドラ審査員…プロデューサー/ドン上野、作家/田中のぶ、藤井青銅、向井勉」
 …となっている。

 参加者全員のリストも載っている。年齢は16歳~24歳。十代はもちろん学生だ。なので、遠くの方はおいそれと東京に出てくるわけにはいかない。そこで「電話審査」で参加という人が、5人ほどいる。
「ああ、ちゃんと地方の若者にも配慮していたんだなあ」
 と嬉しく思った。おそらく、舞台上で電話をつないで審査したのではないか。

 二十代の中には、すでに演劇などやっている経験者で、なにかチャンスを求めて…という方もいた。参加者中の最年長24歳の男性が、郷田ほづみさんだ(参加者リストには、本名と当時の住所、電話番号まで載っている!)。のちに、プロの声優になる。
 ということは、この東日本予選で選ばれ、全国決勝大会に進出したんだろう。決勝大会にぼくは関わっていないので、まったく憶えていないが。

 この台本を見つけたので、先年ずいぶん久しぶりに郷田さんにお会いした時、
「ぼくが選んだんだぞ。エッヘン」
 と恩着せがましく言っておいた(忘れてたくせに)。アハハ…。
 もちろん、途中で誰がどうやって選ぼうと、「最後にはちゃんと才能ある人が残るもの」なんだけどね。

「カセットテープ」「電話審査」「東日本予選大会」「西日本予選大会」…と、ずいぶん時代がかった言葉が並び、今となっては大げさな企画だなぁ、という気もする。けれど冒頭に書いたように、現在のような各種声優学校がない時代には、こういうイベントも意味があったのだと思う。

 この少しあと、ぼくはまったく別のコンテストの一次審査を行うことになる。やってみると「ああ、これは全然違う!」と驚いた点があったのだ。それは何か?

(今回、続きます)

 

お知らせ

saydo_cover_170330

『幸せな裏方』

藤井青銅(著)/新潮社

otoCotoで連載中のコラム『藤井青銅の「この話、したかな?』が書籍化! 好評発売中です。


■電子書籍で購入する

Reader Storeはこちら

ブックパスはこちら

 

■紙版で購入する

藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
→電子書籍版

プロフィール詳細を隠す表示する

この記事が気に入ったらクリック

SNSでシェア

このエントリーをはてなブックマークに追加