May 18, 2017

コラム

いまや伝説!? 原稿手書きにまつわるエピソードあれこれ

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 「あの先生の原稿、まだ手書きらしいよ」
 という噂話が、時々、作家仲間で話題になることがある。出版界でも、放送界でもだ。ぼくの周囲の作家は、みんなある程度のキャリアがあるから、手書き原稿時代からスタートしている。ほとんどの作家が、

手書き時代
 ↓
ワープロ専用機時代
 ↓
パソコン(主にプリントアウト)時代
 ↓
パソコン(データ送付)時代

 という流れを経験している。
 誰もが、そのどこかのタイミングで、①自分のヘタクソな文字から解放される。②直し作業が簡単になる…という魅力にひかれて、「これは便利だ!」と飛びつく。とはいえ、まだメカの性能が低く、なおかつタイピングや操作習得の面倒さで挫折し、「やっぱり手書きの方がいい」と悪態をつき、それでも新しいメカが登場すると「今度こそ!」と再チャレンジして……といったことを何度も繰り返してきたのだ。

 こうして現在、ほとんどの作家仲間が原稿はパソコンで書いている。みんな、技術革新の荒波に揉まれ、時に流されつつも、なんとかしがみついてきたのだ。最初からパソコンで原稿を書き始めた若い作家には、この「淘汰されずに生き延びた」という安堵感は、わかるまい。
 だから、
「あの先生の原稿、まだ手書きらしいよ」
 という噂を聞いて、みんな驚くのだ。
 断っておくが、驚く理由は、《あの人、新しい時代に対応できないんだな》…なのではない。手書き原稿は、それを誰かがワープロ打ちをしなければならないのだ。当然、人件費と作業時間がかかる。それが許されるということは、《あの人、さすが大御所だな》…なのだ。
 だって、ぼくのような三文作家が「原稿は手書きです」なんて言ったら、「そんなメンドクサイ人はいらない」となってしまうだけだもの。

 手書き原稿時代には、「手書き神話」とでも呼ぶものが残されている。
【手書き神話1】
 これは出版界。悪筆(もしくは達筆)な作家の文字は読めないことがある。だが、作家先生に編集者が「これはなんて書いてあるんですか?」と聞くのも失礼だ。しかしよくしたもので、印刷所にはその作家の文字が読める専門の職人さんがいて、ちゃんと活字を拾ってくれるのだ。
 具体的な作家名を出すことは控えておくけれど、編集者に聞くと事実とのこと。

 【手書き神話2】
 一方、放送界。佐々木守さんという大御所の脚本家・放送作家がいた。「ウルトラマン」や「お荷物小荷物」「おくさまは18歳」「アルプスの少女ハイジ」、山口百恵さんの「赤いシリーズ」…などの脚本で有名。漫画「男どアホウ甲子園」の原作でも有名。大先生だ。残念ながら、ぼくはお会いしたことはない(2006年に亡くなっている)。

 日本テレビのプロデューサーH氏に聞いた話だ。佐々木さんは構成ものも書く。「知ってるつもり」もその一つだ。ある時、そのナレーション用の原稿をもらった。もちろん手書きだ。が、達筆で(なのか?)、一部読めない文字がある。
 プロデューサーは困った。というのも、スタジオにはすでにナレーターの市原悦子さんがいらしているのだ(なんでも、「ナレーターは市原さんで」と佐々木さんの指定だったという)。
 普通に考えれば、書いた当人に「これはなんと読むんでしょう?」と問い合わせるべきなのだが、なんといっても相手は大御所作家だ。失礼にならないか?
 前門の大女優、後門の大作家! プロデューサー氏は迷った。
(あわわ…、どうしよう…)

 

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藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

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