Feb 16, 2017

コラム

ラジオ番組の構成作家とパーソナリティーの間で繰り広げられる、目に見えない戦い

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 この話に出てくる方のお名前は、ちょっと書きずらい。歌手で役者で、トークが達者な男の人…とだけ書いておこう。
 そういう方のラジオ番組を担当したことがある。はじめて一緒に仕事をした。パーソナリティー番組だが、たしか毎回ゲストを迎える企画だったような気がする。

 一般的に「トークが達者」と定評のある方の番組ほど、作家としては難しい。
「え、どうして?」
 と思う方が多いだろう。
「だって、喋れる人だったら、台本書きは楽なんじゃないの?」
 と。
 それはもちろんそうだ。楽なのだが、一方で別の難しさもある。それは「自分の喋りに自信がある人ほど、台本に書いてあることを読まない」という傾向があるからだ。
 たぶんそれは、
「ここに書いてあるつまらない文章より、自分が喋ることの方が面白くて気がきいている」
 という思いがあるからだと思う。ここで急いで付け加えておくけれど、ぼくは、パーソナリティー番組とかバラエティー番組というのはそれでいいと思っている。その人らしさと、アドリブの面白さだ。構成台本にあるセリフというのは、ドラマ脚本に書かれたセリフとは違うからね。そのまま読む必要はない。
 ただこの場合、作家として「?」と感じるケースが、二つほどあるのだ。

 一つは、『番組の進行上、言っておくべき文章を読まない』というケース。たとえば企画の説明だったり、まとめのフレーズだったり、そのあとに用意したコーナーへの振りとなる言葉だったり。
 どんなに出演者の自由度が高い番組でも、台本というものは、構造上そういうフレーズがいくつか埋め込まれている。
(あ。そこんとこスルーされると、流れがわかりにくくなって困るんですけど…)
 これは作家だけでなく、ディレクターもそう思う。そしておそらく、スルーした本人も内心では
(あ、しまった! 台本をそのまま読んどけばよかった)
 と思ってるんじゃないだろうか? 喋れる人ゆえに、気付くと思う。
 だからこれは、喋り手側のケアレス・ミスだ。ディレクターは困るだろうが、作家的には(あ~あ、やっちゃった)という程度のことでしかない。

 なので、時にディレクターは、
「すみません。そこんとこ、もう一回、台本通りにお願いします」
 と喋り直しをお願いすることもある。
 そう指摘されてやり直したところで、別に出演者のプライドも傷つかない。だってそれは、面白い・面白くないのダメ出しではなく、単に進行上の事務的なダメ出しだからだ。

 さて、作家的にちょっと困るのは、もう一つのケースだ。

 

お知らせ

 

otoCotoで連載中のコラム『藤井青銅の「この話、したかな?』の書籍化が決定!
(タイトル未定/新潮社より2017年3月末発売予定)

 

2015年7月~2016年6月(01大瀧詠一~96チェッカーズ)から厳選したコラムが掲載されます。
現在、藤井青銅公式twitter(https://twitter.com/saysaydodo)にて、書籍に掲載してほしいコラムの投票も受付中です!
書籍化対象となるコラム(01大瀧詠一~96チェッカーズ)は2017年2月末まで閲覧可能です。
この機会に再読の上、ぜひ藤井青銅公式twitterにてご投票ください。

藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
→電子書籍版

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